ひとりヒザカックン
記事一覧へ公開日: 2019/08/12
それすなわち「パチスロひとり旅Classic」。
2000年(平成12年)5月のゴールデンウイーク明け、滞在していた北海道のスロ状況は必ずしも悪くなかったけど、すごく良いわけでもなかったので、そろそろ違う場所に移動したくなってきました。
2000年5月17日(水曜)
苫小牧港23:45発
大洗行きフェリー乗船~~。
本日実戦お休み
2000年5月18日(木曜)
19:00大洗着。
20:30までパソコン。
いわきへ向けて出発。
本日実戦お休み
いわき健康ランド泊
とくに補足説明はありません。
(´・ω・`)
2000年5月19日(金曜)
朝8:55
いわき市・錦D店
おじさんおばさん並んでる。ごちゃごちゃ。
このD店は7枚交換で、若いプレイヤーが朝から詰めかけるようなホールではありません。やはり若いプレイヤーは5.5枚か等価のホールに行きがちでした。
あと、いわき市は当時、「先着順に、きちんと整列して入場」というルールの存在しないホールが多めでした。今だったら「先着順に整列」なんて当たり前のことですけどね。
ごく一部に、新装初日だけは整理券を配るとか、クジ引きで「新台打てる券」を配るホールとかならありましたけど。
9:00入場
スロットコーナー人すくない。
パチンコのほうに走った人が多かったみたいですね。
大花火のカド3に着席。
投資4000円でヒット。ハズシ好調で夜8時まで。
(+)2万9800円
7枚交換で換金3万3800円だから、交換したのは2400枚ぐらいでしょうか。
設定3ぐらいの手応えです。
デニーズでGさん、○さんと合流。
Gさんは5ヶ月ぐらい前(1999年12月頃)、ボクの個人ホームページ「パチスロひとり旅」宛てに『いわき市の状況が良いですよ、ぜひ来て下さい』とメールを送ってくれた人です。
Gさんや漫画家の「すずき寿ひさ」先生などを中心にパチスロ仲間が集まりつつあり、のちのパチスロサークル「MAX BET」結成へと繋がっていきます。
○さんもパチスロ仲間の一員でした。
○さんは素直さに欠ける。できれば仕事を辞めてパチプロになりたいとのことだが難しいかもしれない。
深夜2:50
デニーズで解散。
((((;゚Д゚))))
名波サン、厳しー!
「思ったように勝つことができないのだが、どうすればいいのか」
と相談されて、ボクなりの考えを伝えたときに
「いや、でも、ホニャララだと思うんすよね」
と、オカルト混じりで本気で反論されたら
「ああ、ごめんごめん、オレが悪かった(もうオレに話しかけないでくれ)」
ってなりますから。
こっちも借金を抱えていて余裕ないわけですし。金銭的にも精神的にも。
(´・ω・`)
ギブミー余裕
いったんは健康ランドに行こうと思ったけど時間が中途半端なので国道のパーキングで一夜を明かすことにした。
パソコンをイジってたら朝。
まったく寝てない。
2000年5月20日(土曜)
朝8:55
いわき市・平D店
すずき先生やNさんも来ている。
大花火…飲み込まれ(-)1万1000円
グランシエル…飲み込まれ(-)3000円
B-MAX…当たらず(-)7000円
アラベスク…当たらず(-)5000円
いわき市・平T店に移動
カンフーレディ…REGのみ(-)5000円
ハナビ…飲み込まれ(-)2000円
眠くて死ぬ!
ハナビ打ちながら寝てしまった!
証券マン時代の新橋以来だ
東京でサラリーマンをやっていたとき、あまりの疲労により、JR新橋駅から会社に向かう途中に「歩きながら寝てしまった」エピソードのやつです。
人間は歩きながら寝ると、どうなるのか。
『パチスロひとり旅GOLD・第1巻』より
「ヒザカックン」の状態になります。周囲に誰もいない「ひとりヒザカックン」です。
寝るといっても一瞬だけだったので転倒せず態勢を立て直し、そのまま何事もなかったように歩き続けました。
こんな経験をした人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
いわき市・小名浜M店に移動
カンフーレディ…(+)9000円
少し戻したけど時間切れ。
本日のトータル収支
…(-)2万4000円
引き続き、福島県いわき市に滞在しています。
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