これが答えだ?
記事一覧へ公開日: 2016/06/19
さて、今まで私たちは、軽々しく『パチンコ発祥の地は名古屋だ』『それは昭和5年にパチンコ店の第1号が名古屋で認可されたから』などと考えてしまいがちでした。
インターネット上にも、そのことを信じて疑わない内容のページがあふれています。が、しかし。
ふと立ち止まり、よくよく考えてみると…
・昭和5年の、何月何日なのか?
・ひと口に名古屋というけど、名古屋のどこだったのか?
・誰が認可したのか?(愛知県?名古屋市?愛知県警?内務省?)
・誰が申請したのか?
・1軒だけでなく、いっせーので同時に複数のパチンコ店が申請・開業したのか?
・その「第1号店」に設置されたパチンコ台を製造したのは誰?(あるいは台の製造者とパチンコ店の経営者は一緒?)
・どのWEBサイトも【パチンコ店営業の発祥】と【パチンコ台製造の発祥】を区別しないで語りすぎ?
知りたいことがたくさん出てきて、さあ大変。
…ってなことを6回前の当ブログに書きました。
書いたときは、答えにたどりつくまでに何ヶ月もかかるだろう。あるいは、答えが出ずに、ギブアップするかもしれない。
なんとなく、そんなふうに思っていました。
しかし、名古屋市の図書館で偶然見つけてしまった史料(資料)により、答えがグッと近づいたわけです。
(←今ココ)
で、例の『パチンコミュージアムの図録』の中にある【戦前における日本のパチンコの歩み】が書かれているページを見てみると…
(『パチンコミュージアム第2章』より引用)
(※下線や黒塗りは名波アマが加筆)
1930年(昭和5年)
名古屋市中区西脇町(現・松原一丁目)のHさんが昭和5年2月12日に愛知県警保安課にパチンコを遊技場として営業許可を申請、許可されたという。営業時間は夜8時から深夜の12時まで。
知りたかったことのいくつかがズバッと書かれています。
・昭和5年2月12日に
・名古屋市の中区西脇町で
・Hさんが
・愛知県警保安課に
あと、営業時間が夜8時からというのが興味深いですね
(´・ω・`)
やはりパチンコ発祥の地は名古屋で正しかったのか!?
しかし、ここでまた、スッキリできない箇所が現れてしまいました。
その2年後、昭和7年のところを見てみると…
『一銭パチンコ流行』『一銭銅貨を投入すると打ち玉が出、入賞すると一銭銅貨かメダルが数枚出るというもの』
と書いてあるように、まだこの頃のパチンコは『玉を打ち出し、入賞したら、また玉が出てくる』というシステムのものじゃなかったらしいんですよね。
「玉を打って、入賞したら、また玉が出てくる」という今では当たり前になっているシステムのパチンコ台が登場するのは、どうやら昭和10~11年頃のようです。
当然のことながら、昭和5年に認可された「パチンコ店」に設置されたパチンコ機も、玉を打って玉が出てくるというシステムのものではなかったらしいのです。
さらに、もう一つの重要な資料である『天の釘――』の中の「パチンコのルーツ」が書かれているページを読んでみると、なるほど確かに室内で営業するパチンコ店の正式な許可が下りたのは昭和5年の名古屋だったかもしれませんが、それ以前の昭和初期に、すでに大阪や神戸では露天商や香具師(やし)がリヤカーにパチンコ台を積んでお祭りや縁日に持っていき、移動遊戯機として営業を開始していたらしいんです。
その業者数は、なんと大阪だけでも3000軒!
※香具師(やし)=いわゆる「テキヤさん」。
まだ結論を出すのは早いかもしれませんが、ボク個人としては今、パチンコ発祥の地は名古屋だと単純には言い切れないんじゃないか、と思い始めています。
これは重い判断ですよ。これまでの常識をひっくり返すことになるかもしれないんですから。
正村ゲージに代表されるように、戦後のパチンコ業界の発展に名古屋が果たした役割が大きかったのは否定しようのない事実です。しかし、単純にパチンコ発祥の地と呼んでしまっていいものなのかどうか。かなり疑問に思えてきました。
「屋内型パチンコ店の営業許可第1号の地」だったら、ほぼ間違いなく名古屋ってことで問題ないとは思いますが。
もうすこし深く史料(資料)を読み込んでみる必要がありそうです。
とくに大正時代から昭和初期にかけての、パチンコ的な遊技機にまつわるアレコレについて。
答えにたどり着くまで、もうちょっと時間がかかるかもしれません。
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