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名波誠

そもそもパチンコとは

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公開日: 2016/06/21

2016年5月現在、「道の駅」は日本全国に1093ヶ所。その「道の駅」の第一号は新潟県・国道7号線沿いにある『道の駅・豊栄(とよさか)』だと言われています。

敷地の中には【道の駅発祥の地】と書かれた立派な石碑が立っています。

写真を持ってないので紹介できませんが、「道の駅発祥の地」で検索すれば石碑の写真がズラリと出てきます。

 

 

鉄道の「駅」と区別するために、わざわざ「道の駅」と名乗っているわけですが、その「鉄道の駅」も、最初は違和感があったはずなんです。

馬がいないのに、なんで「駅」なんだ?

と。

 

 

江戸時代、人力を除けば陸上を移動する手段のメインは馬。その馬にエサを与える施設を備えていたり、馬から馬に乗り換えるためのターミナルのような役割を担っていたのが宿駅(しゅくえき)で、単に「駅」とも呼ばれていたようです。

 

明治時代に入って鉄道が完成すると、宿駅の役割に似ているからということで、駅を「駅」と呼ぶことになったわけです。最初は間違いなく違和感があったことでしょう。

宿駅と駅、どちらも「駅」と呼ばれていることに変わりがないけれど、内容は少し違っていますからね。

 

 

 

じつは「パチンコ」にも似たような問題があったんです。

 

前回のブログで、「玉を打って、入賞したら、また玉が出てくる」システムの遊技台が開発されたのは昭和10~11年頃だと書きました。

しかし、それよりも前の時代の「メダル(一銭銅貨)を投入してメダル(一銭硬貨)そのものを打ち、入賞したら、またメダル(一銭銅貨)が出てくる」システムや「メダル(一銭銅貨)を投入すると玉が出てきて、その玉を打ち、入賞したら、メダル(一銭銅貨)が払い出される」ようなシステムのものも、やはり一部で「パチンコ」と呼んでいたらしいのです。

※完成度の高いものから子供だましのチャッチイものまで、じつにさまざまなシステムの機械が存在したものと想像されます。

※ほかに「パチパチ」「ガチャンコ」という呼び方もあったらしい。

 

 

現在、誰もが疑問に思っていない「昭和5年にパチンコ店の第1号が名古屋で認可されたからパチンコ発祥の地は名古屋だ」という説に登場するお店はメダル(一銭銅貨)を使って遊技する機械を設置していたと考えるべきで、だとすれば、それをパチンコ発祥の地と呼んでいいものなのかどうか。

違和感がぬぐえません。

 

どっちも「パチンコ」と呼ばれていることには変わりがないけれど、内容は少し違っていますからね。

 

 

そういうのも「パチンコ」に含めてオッケーだとすれば、似たようなシステムの遊技機が登場するのは大正12年の宝塚新温泉(兵庫県・宝塚ファミリーランドの前身)までさかのぼることができてしまいます。

 

(つづく)

 

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