パチンコ・パチスロブログ

名波誠

合わせ技で結局「名古屋」?

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公開日: 2016/08/23

「パチンコ発祥の地」はドコなのか?

本当に名古屋なの?

ピンポイントでハタを立てることは可能なのか?

 

現場に足を運んでみたり、パチンコ関連の資料(史料)を紐解いてみたり。それなりに時間をかけて考えてきました。

その結果、そもそもパチンコとは何だ?という問題にぶつかるなど、話が単純ではないことに気づかされたわけです。

※当ブログの6月~7月分参照

 

 

現時点で、なんらかのハタを立てることができそうな候補地は以下のとおり。

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【1】兵庫県宝塚市の『宝塚新温泉』…1923年(大正12年)、日本のパチンコのルーツとされるウォールマシンがヨーロッパから輸入され、日本で最初に設置された場所。

ただし、まだこの頃は「パチンコ」という言葉が存在していませんでした。

 

 

【2】大阪や神戸の露店商・香具師(やし)…大正末期から昭和初期にかけ、外国製のものを参考にして改良した縦型の遊戯機が祭りや縁日にて移動遊戯機として営業。リヤカーに6~8台の遊戯機を乗せ、各地を回っていたらしい。大阪だけでも業者が3000軒ほどあったんだとか。

この頃の機械は「ガチャガチャ」「ガチャンコ」「パチパチ」「パチンコ」など呼び方がさまざまで、その後、少しずつ「パチンコ」が主流になっていきます。現存している機械がなく、仕様がバラバラで資料も残っていないなど、ナゾ多し。

 

 

【3】愛知県名古屋市中区松原一丁目のHさん宅…1930年(昭和5年)2月12日、愛知県警保安課がHさんに対し屋内型の遊技場として営業許可を出したとされる場所。日本で初めての正式な屋内営業の許可だとされる。営業時間は夜8時から深夜0時まで

これを根拠として「パチンコ発祥の地は名古屋だ」とする説が一部で広まっていますが、まだこの頃も機械の仕様がバラバラで、Hさん宅に置かれていたのも「一銭パチンコ」と呼ばれる遊技機だったと推測されます。一銭パチンコ=入賞すると玉ではなく一銭銅貨が払い出されるもの。

この機械を現代の「パチンコ」と同じものだと捉えていいかどうかについては意見の分かれるところかと思います。

同じものと捉えるならば、パチンコ発祥の地は名古屋ではなく、大阪や神戸だとする説もアリになる可能性が…。

 

 

現在の「名古屋市中区松原一丁目」の様子

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名古屋を代表する繁華街「大須商店街」から数100m離れたところです。住宅やマンション、中小企業のオフィスや小さな工場が建ち並んでいて、「パチンコ店」があったような雰囲気は1ミリもありません。

駄菓子屋さんが店内の一角に数台の10円ゲーム機を置くような、そんなニュアンスの店舗だった可能性もありますね。いや、営業時間を考えれば、ちょっと違うかな?

 

 

【4】愛知県名古屋市西区の『円頓寺商店街』…1936年(昭和11年)頃、それまでの「一銭パチンコ」ではなく、玉を打ち出して、入賞したら、また玉が出てくる(=現代のパチンコと同じ)システムの「鋼球式パチンコ」が登場した場所。開発・設置したのは『京極遊戯場』を経営する藤井さん。

営業許可が得やすいように、あえてパチンコとは言わず「スチールボール野球器」と名付けたのが面白いと思います。

 

同じく昭和11年、その「スチールボール野球器」を導入し、名古屋市西区の弁天通り商店街で営業を始めたのが正村竹一さん経営のパチンコ店『スピード野球ボール』です。

ややこしや~

 

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(※画像は『パチンコミュージアム』の図録から引用)

 

 

そして1942年(昭和17年)、戦争突入によりパチンコ全面禁止。空白の時代へ。

 

 

 

【5】愛知県名古屋市西区の『弁天通商店街』…1946年(昭和21年)5月30日、正村竹一さんがパチンコ店『浄心遊技場』の営業を開始。戦後初のパチンコ復活とされる(それよりも少し早く石川県金沢市や宮城県仙台市でパチンコ店が復活していたという説もアリ)。

さらに昭和23年から24年にかけ、この地で「正村ゲージ」が考案され、爆発的にヒット。このことからも、いわゆる現代的なパチンコ機の発祥の地であることは間違いないと思います。ただし「パチンコ発祥の地」という言い方ができるのかどうかは議論の余地がありましょう。

 

 

【6】愛知県名古屋市のどこか…1952年(昭和27年)、名古屋の「豊国遊機製作所」が機関銃式パチンコ(上皿付きのパチンコ台)を開発。1分間に100発以上の玉を打ち出すことが可能になった。

つづく1953年(昭和28年)には名古屋の「ツバメ製作所」が電動式パチンコ(モーターの回転により玉が自動的に発射される仕組み)を開発。1分間に200発以上の玉を打ち出すことが可能になった。

 

これらは明らかに「パチンコ発祥の地」とは違いますが、『上皿発祥の地』や『電動ハンドル発祥の地』みたいな言い方はできるのかなと思います。

 

 

【7】石川県野々市市(ののいちし)の某ホール…低レート貸し営業発祥の地。

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2005年12月26日、このホールが日本で初めてパチスロの低レート貸し営業を始めました。※パチンコのほうの低レート貸し発祥の地は不明。

これまでにも当ブログで紹介したことがある場所です。

 

実は今回の「パチンコ発祥の地」探しの企画も、ここのようにピンポイントで場所を特定したい!と、うっすら考えていたんです。

しかし、調べれば調べるほど、そんなに話は簡単じゃないということが分かってきてしまったのは、ここまでシリーズで読んできてくれた方なら理解してもらえるはず。

 

 

ただ、どうでしょう。

ピンポイントでハタを1つだけ立てることはできないにせよ、やはり、合わせ技で考えれば、これまでの定説通りパチンコ発祥の地は「名古屋」ってことでいいのかなと思います。

あくまでも合わせ技ですけどね。

 

めでたしめでたし?
(´・ω・`)?

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