台間に札を刺すパターンのやつ
記事一覧へ公開日: 2018/07/19
引き続き、昔ばなしにお付き合いください。
1999年(平成11年)5月、新潟県の佐渡島(さどがしま)に上陸。
新潟港→佐渡島(両津港)のフェリーは長さ4mのクルマ1台+ドライバー1名で片道1万4870円でした。
パ=パチンコ店
新潟市に本店がある大きめのチェーンも出店していたりで、国道350号線沿いを中心に12軒のパチンコ店がありました。
1999年5月28日・金曜
新潟港15:40発の佐渡島行きフェリーに乗船。意外に大混雑。
18:00頃、佐渡島の両津港到着。
新潟港から佐渡島までの所要時間は大型のフェリーで片道2時間30分、高速船のジェットホイルで片道1時間5分。
高速船はクルマを積み込めないので、マイカーで佐渡島に行きたい場合はフェリーを利用します。
ボクが乗ったフェリーは金曜日の夕方の便だったからでしょうか、観光バスツアー(?)か何かの団体客が乗り込んでいて、ものすごく混雑していました。
予想していたとはいえ、ミスド、ジョーシン(家電量販店)、ツタヤ、アイフルのATMもある。
佐渡島のメインストリート・国道350号線。
本土と同じような街並みが広がっています。「島」というと田舎の風景を勝手に思い浮かべてしまいがちですが、当時の佐渡島は人口が7万を超えていて、まあまあ普通に賑わっていました。
ちなみに現在の佐渡島の人口は5.5万に減っていて、かなりのスピードで過疎化が進んでいます。
DA店で店員さんに何枚交換ですか?と質問したら
「いえ、ウチは何枚交換とか特に決まってないんですけど」
と謎の回答。
別の店員さんに聞いたら「6枚交換です」と教えてくれた。
最初の店員さんの回答は何だったんでしょうか。
おそらく勘違いをしていたんだろうと思いますが、どういう質問と勘違いしたら、あのような回答になるんでしょうか(にがわらい)。
この日は佐渡島での実戦なし。数軒のホールを偵察したのち、島の西部にあるビジネスホテルに泊まりました。
1999年5月29日・土曜
朝9:20
電話で起こされる。
この日に限らず、佐渡島のホテルではチェックアウトの時間が近くなると部屋に電話がかかってきて「もうすぐチェックアウトの時間ですよ」と言われることがありました。
9:40
DA店へ。常連さんによると9:50に入口が開くらしい。
当時の佐渡島のホールは朝10時オープンでした。前にも書きましたが、遊技開始時刻の少し前に店内に入って台を確保することができるのが当たり前だった時代です。
9:50
スロットコーナーに走る者が多い。
んっ
高設定札がないよ。
常連さんも「あれ?今日ないぞ」と言っている。
前日の偵察で「札台(ふだだい)」があることは確認済みだったのですが、この日は朝イチに札が刺さっておらず、常連さんも戸惑っていました。
朝イチの客はボクも含め、札台を当てにして早くから駆けつけてますからね。札が見当たらないと、どの台に座っていいものやら困ってしまいます。
10:00になって、やっと店員さんが札を持ってきた。
うわ
台の上じゃなくて台と台の間に付けてるよ。
台と台の間に札を刺すパターンは、それまでにも何度か経験していました。
「この札の右か左、どっちかの台が高設定ですよ」あるいは「右と左、どっちも高設定ですよ」という意味です。
といっても、本当に高設定が投入されているのかどうかは店長さんしか知りません。
札の信頼度はホールや日によって激しく上下します。
札の左側の花月に座って総投資4000円、2発目のBIGボーナスで立ち上がり。
しかし6時間半粘って飲み込まれ。
札をはさんで右となりの台のやつは2箱マンタンで、さらに3箱目に手がかかる勢い。
くそ!
(-)4000円
どうやら名波サン、2択をミスったようですね。
(´・ω・`)
島の南部を偵察。
ハナビでKKKやってる若いやついた。
両津港付近だけPHSの電波入る。良かった。
本日のトータル収支
…(-)4000円
佐渡島実戦初日はマイナスで終了です。
「KKK」はパチスロ攻略マガジンの用語で『小役きっちりかっちり打法』の略です(だよね?)。
あと、持ち歩いていたノートパソコンはPHSの電波を使ってインターネットとつなげていたのですが、当時は電波の届く場所が都会メインで、地方の町では「圏外」になることが多くありました。
ギリギリで佐渡島の港付近がPHSのサービス圏内だったようで、一安心しています。
(´・ω・`)
まだしばらく佐渡島に滞在します
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