じゅくちょー(誰?)
記事一覧へ公開日: 2020/07/12
「パチスロひとり旅Classic」です。
2001年(平成13年)の6月度はAT機の獣王でボロ負けしたものの、安定の大花火や新台のハードボイルドで勝ちを積み重ね、さらに、豪快に裏返っていたシオサイ30などで大きめに勝つことができたため、トータルではプラス収支でフィニッシュ。
おかげさまで借金残高が順調に減ってくれました。
そのままの勢いで7月度に突入!
…と、なったんでしょうか。
2001年7月1日(日曜)~7月3日(火曜)
とくにこれといったエピソードもなく、小さく勝ったり小さく負けたりで3日間のトータル収支は
(-)400円
でした。
2001年7月4日(水曜)
朝8:45
K店へ。
毎度のK店です。
狙い目候補第2位のシオサイ30を確保。
投資1万8000円でBIGを引いて一発ツモ。
8連チャンでヤメ。
まだ11:30だ。
(+)3万2200円
大花火の設定6候補台に座る。
投資8000円でBI―G!
まあまあ悪くない感触だったけど、さすがに6は無さそうだったので早めにヤメておく。
(+)2万1400円
本日のトータル収支…
(+)5万3600円
もしも今だったら「たぶん設定1だけど、もしかしたら設定2あるかも」ぐらいの手応えしかない大花火ですら、もうちょい追いかけるかもしれません。
開店直後に店内の裏通りを全力で駆け抜け、ファーストベース(いろはに愛姫のイス)にヘッドスライディングする勢いのプロすらいる時代ですから。
(´・ω・`)
足の速さでは絶対に勝てない
2001年7月5日(木曜)
東京に向け出発。
途中、愛知県岡崎市のP店に立ち寄ってみたら南国物語30がバリバリの裏モノで賑わっていた。
静岡インター近くのビジネスホテル泊
2001年7月6日(金曜)
静岡から東名高速を走る。
用賀で降りて、下道で高田馬場の白夜書房へ。
この翌日(7月7日)にパチスロパニック7編集部主催のパチスロ大会が行われることになっていて、それに参加するため東京に駆けつけたのです。
ここで初めて田山さん急逝の事実を知る。
パチンコ必勝ガイドで長くライターをしていたパチプロの田山幸憲(たやまゆきのり)さんがガンにより、7月4日にお亡くなりになったとのこと。
ボクは残念ながら、直接お会いする機会に恵まれないままとなってしまいました。
今夜は田山さんのお通夜などがあり、末井さんとの食事会はキャンセルになった。
田山さんが亡くなったのは、晩年に好んで打っていたパチンコ・ナナシー(7月4日)の日であり、さらに葬儀が行われたのが7月7日のゾロ目の日。
その生き様は伝説となっています。
高田馬場のビジネスホテル泊
2001年7月7日(土曜)
パチスロ大会は午後1時から。
それまで高田馬場B店でB-MAX。
投資2000円で当たっちゃった。
(+)1万6500円
山手線に乗って品川駅へ。
パチスロ大会が行われるホールの前には人だかりができている。
パチスロ大会参加の抽選に当たったパニック7の読者さんたちが200人前後、ホール前に大集合。
ボクは顔を誰にも知られていなかったので、これっぽっちもザワつかれることなく自然に溶け込んでいました。
それはそれで、ちょっとアレですけどね。
(´・ω・`)
にがわらい
パチスロ大会は13:00~16:30の3時間半。
ゲスト参加のアニかつさん、中武さん、ポロリさん、ういちさん、じゅくちょー(誰?)らに混じってオレも紹介された。
急にザワつく参加者の皆さん。
ザワついてくれてホッとしました。
(´・ω・`)
あと、「じゅくちょー(誰?)」は当時の日記ノートに書いた原文のママです。
お察しのとおり、現在このDMMぱちタウンでも活躍している塾長さんです。
この少し前にパチスロ必勝ガイドのライターとしてデビューしていて、パチスロ大会にもゲスト参加していたのです。
まだホヤホヤの新人で名前を聞いたことがなかったから「誰?」なんて書いちゃってますけどね。
その後は皆さんご存知のように、ものすごい勢いで体重が増え人気者になり、今にいたります。まったくもって説明不要でしょう。
大会終了後、編集者と打ち上げ。
そのあと、読者さんらの一部と新宿で打ち上げ。
タクシーで高田馬場に戻ってホテル泊。
このあとは東京を離れて北上。
東北地方経由で北海道に向かいます。
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