東京で対談
記事一覧へ公開日: 2021/03/09
そんな時代もあったよね。
昔の日記ノートに書かれている内容を元に、なるべく忠実に、ダラダラと淡々と振り返っている「パチスロひとり旅Classic」です。
2002年(平成14年)7月上旬、静岡県経由で東京に向かいました。
東京に向かったのは「某ライターさんの結婚式の2次会に参加するため」と前回のブログに書きましたが、それ以外にも理由があったようです。
この直後に創刊される予定になっていた新しい漫画誌「パニック7ゴールド」の企画で、漫画家のサマンサ三吉先生、星野誠一先生、そして名波アマの3人による対談がセッティングされていたのです。
2002年8月18日(だったっけ?)発売の
『パニック7ゴールド』第1号
「パニック7ゴールド」は18年経った今(2021年3月現在)も発行が続いています。
これは、その記念すべき第1号です。
前にもチラッと触れたかと思いますが、まだ正式な「創刊号」ではありません。
「漫画パチスロパニック7・10月号増刊」とハッキリ書かれています。
まだ「増刊号」の扱いです。
2002年7月9日(火曜)
午前8:40
駿河健康ランドから出発。
まずは富士市を目指す。
富士市S店(6枚交換)でキングパルサー、爆裂王など5機種乱れ打ち。
とくに手応えなし。
(-)1万円
14:30
高田馬場の編集部到着。
19:30
渋谷でO氏の結婚式2次会に出席。
O氏は5号機に移行するぐらいのタイミングでライターを辞め、現在は社会人として普通に働いています。
(´・ω・`)
パチスロライターだって普通に社会人なんだけどさ
高田馬場のホテル泊。
2002年7月10日(水曜)
編集部でケータイサイトを更新したり、打ち合わせしたりの1日。
高田馬場S店で少し打った。
ネオプラネット…(+)2万6000円
ミリオンゴッド…(-)6000円
本日のトータル収支…
(+)2万円
高田馬場のホテル泊。
2002年7月11日(木曜)
昼からサマンサ三吉・星野先生と対談の仕事。
お台場、日比谷公園、池袋のデパート屋上で動物カーにまたがり対談。
忙しい1日だった。
左から、サマンサ、星野、名波。
レインボーブリッジを眺めながら対談してる体(てい)の写真。
なぜ、お台場に行ったのか。
いまだによくわかりません。
日比谷公園に移動。
いちおう、ここに関しては“名波アマゆかりの地”というノリで行った可能性があります。
芝生の向こう、茶色い建物が日比谷公会堂。
その奥には「日比谷シティ」のビル群。
名波アマは一時期、ここに見えているビル群のどこかに配属され、サラリーマンをしておりました。
外回りの途中など、日比谷公園のベンチでよくサボっていた休憩したものです。
公園の噴水とサマンサ三吉。
噴水を見上げながら対談している体(てい)。
デパートの屋上で対談している体(てい)。
これも、なぜデパートだったのか。まったくわかりません。
編集「今、大きな借金を抱えてパチスロを打つという人も多いんですよ。そんなとき、みなさんならどう立ち回りますか?」
サマンサ「俺なら働きますよ」
一同「(笑い)」
サマンサ「基本的にギャンブルっていうのは余裕があるときやないと、勝負に出られる余裕ってのがないと絶対に勝たれへんでしょ。勝たなイカン!と切羽詰まってるやつはダメ。そのまま谷底に落ちるねん」
一同「(笑い)」
星野「追い詰められたときにミリオンゴッド打つ人は落ちますね」
対談の中から、ごくごく一部。
抜粋してみました。
旅は続きます。
ライター・タレントランキング