
公開日: 2025/07/04
タバコの吸い殻の長さ、そして量を見て台の優劣を推測した昭和、平成は軍団も打ち子も少なかったし、コンプライアンスもあってなかったようなものだし、目押しさえできれば勝てる機種がごまんとあったし、本当にいい時代だった。あの頃に戻りたいとか言うと確実に老害認定されるので今が一番いい、スケベな格好したややブスな演者をタダで拝める今が最高だととりあえず言っておきますが、今と昔のパチ屋を比べて残念だと思っている点がひとつ。それはなにかと言うとパチ屋で流れる音楽です。
※昭和の私。毛根にまだ元気がありました。
昭和の時代は軍艦マーチで始まって別れのワルツで終わるのが定番、平成に入るとTRUTHで始まる店が多かったとの印象ですが、浅草の某店はヴァン・ヘイレンのパナマ、上野の某店は破壊王の爆勝宣言、変わったところだと木更津の某店は横浜銀蝿の横須賀Babyなど、開店時の音楽に関しては店長のこだわりが強いというか、音楽の趣味が思い切り反映されている店もありました。
※以前、浅草の六区街にあったサンシャイン浅草店では開店時にパナマを流していました。
また、初めて打ったパチスロが『いざ番長』という令和赤ちゃん世代にはちょっと信じられない話かも知れませんが、昭和、平成の時代は開店および閉店時だけでなく営業中ずっと店内で音楽が流れていました。平成の時代はユーロビートといっても令和赤ちゃん世代は分からないでしょうから簡単に説明しますと、MAXのトラトラトラ。ヨーロッパのダンスミュージックが割と大きめの音量で流れている店が多かったのですが、そもそも令和あかちゃん世代はMAXを知らない可能性があるので、すみません、付いてこられぬ方々はここでさようなら、筑波大学駒場高校よりもバッサリ斬り捨てます。
※昭和赤ちゃん世代は今も赤ちゃんくらい食べるスピードが遅いです。
昭和の時代は店内で歌謡曲が、いい塩梅の音量で流れていました。ラブホでお馴染みの有線放送(USEN)を垂れ流している店がほとんどで朝から晩までパチ屋に入り浸っているプロやヒモ、養分の中にはテレビを観ない方も多く、パチ屋で最新の流行歌を知るという話も聞いたことがあります。いま、こうした営業中のBGMがめっきり減ってしまったのはトラトラトラでないほうのMAX、音量MAXの打ち手が増えたからかも知れません。
あれは確か三十年くらい前でしょうか。地元浅草のホールでパチンコを打っていたらどっかのジイサンが「クソッタレ」とか「年金泥棒」とか言いながら私のほうに向かって歩いてきました。大負けして怒り狂っていることは誰の目にも明らか。なるべく目を合わせぬようおとなしく打っていると、そのジイサン、何故か私のほうをキッと見て「こんな詐欺みたいな店、二度とくるかよ、なあ!」と同意を求めてきたのですが、タイミングがいいのか悪いのか、そのとき店内では松村和子の帰ってこいよが割と大きめの音量で流れていました。
※サブスクのプレイリスト「演歌」に入っています。
ライター・タレントランキング