初めての万枚だったと推定
記事一覧へ公開日: 2018/05/31
(引き続き「パチスロひとり旅Classic」をお送りします)
今回は、5000円のパッキーカード1枚で確変を当てるなどしてパチンコ「海物語」で勝利した翌日、いつものように朝イチから8枚交換店のB-MAXを狙っていった結果…
1999年(平成11年)2月25日・木曜
朝9時、岡崎市・8枚交換C店到着。
B-MAXのシマ一番乗り。
865番台のクレジット表示がONになっているのでやる。
やる=打つという意味。
B-MAXの865番台は前日が客側のマイナスで、閉店時に精算ボタンを押してクレジット枚数表示をOFFにしておいた(=仕込んでおいた)台です。翌日の朝イチにONになっているということは、設定変更の可能性が高いと判断できました。
※電源ON/OFFだけの場合は閉店時の状態を引き継ぐ仕様
設定変更後に1G回したりするなどの「対策」を一切していないホールだったので、設定変更の有無を見抜くのは難しいことではありませんでした。
100%確実ではないものの、設定上げに期待しつつ試し打ちをしてヨシです。
REG
REG
REG
BIG
(のまれ)
REG
REG
(のまれ)
REG
(のまれ)
BIG
総投資2万円。REGが多いから高設定の可能性大。続行。
ちょっと前にも書きましたが4号機B-MAXはREGボーナス確率の設定差が大きかったので、REG出現率メインで設定の高低を推測していました。
4号機B-MAX・REG抽選確率
【設定1】…1/655
【設定6】…1/364
13時間バトルの末、大勝利。
(+)10万8600円
…としか日記ノートには書いてないんですけどね。8枚交換で、投資2万円で、プラス10万8600円ということは、最後に流したコインの枚数は最低でも
1万_288枚。
おそらくこの日が人生初の「万枚」だったんじゃないかと推測されます。
が、推測されるだけで、「万枚達成したゼ!」みたいな記憶が1ミリもありません。
え?
そんな大事なことなのに、どうして日記に万枚について書いてないの?
どうして記憶がないの?
と、ボクも10年以上経ってからノートを読み返したときに思いましたよ。
でも、当時のパチスロ界には「マンマイ」という言葉や考え方が存在していませんでした。
しかも当時のボクの日記には、この日に限らず「交換枚数」というのは一切書いてないんです。交換した金額は書いてますよ、もちろん。
「2箱ゲット」とか「夕方で1.5箱」みたいなアバウトな表現はチラホラ出てくるんですけどね。かたくななまでに「○○枚」というのは書いていません。
パチスロを打つ最大の目的が「日々の生活費を稼ぐこと」と「借金を返済すること」の2つだったので、何枚出したかどうかではなく、お金がいくら増えたか減ったかにしか関心がありませんでした。
車上荒らしに遭ったあとに支払った「ドアのカギの修理代」も、わざわざパチンコ・パチスロの収支表に
(-)3800円
と書いてあったりなんかして。
この勝利の直後、愛知県岡崎市を離れます。
岡崎市には1999年の1月末から2月末にかけて27日間ほど滞在したことになるので、まあまあの長期滞在でした。
8枚交換店のB-MAXの調子がいいんだから、そのままずっと打ち続ければ良さそうなものですけどね。
「岡崎健康ランドに飽きた」とか「ほかのエリアの状況も見たくなった」とか、まあ、そんな、ささいな理由からです。
果たしてどこに移動するんでしょうか。
(´・ω・`)
別に、誰も興味ないと思うけど
ライター・タレントランキング