3900枚しか交換できず
記事一覧へ公開日: 2021/05/02
毎度おなじみ「パチスロひとり旅classic」。
当時の日記ノートを元に、4号機時代のパチスロ界を振り返っています。
パチスロブーム真っ只中の2002年(平成14年)9月下旬、この日の実戦内容も打つ台に困らない状況だったことがよくわかるものになっています。
2002年9月30日(月曜)
歯医者に行ったあと岐阜市K店(6枚交換)へ。
2回目の実戦となる巨人の星に着席。
このお店の巨人の星はパネルが「花形満」だったのですが、ほかに「星飛雄馬」「星一徹」「星明子」、さらに翌2003年には「花形優勝ver.」がリリースされています。
中身は全て一緒です。
(パネルを大量にコレクションしている知人が提供してくれた画像)
リールが5つあることをアピールしています。
あくまでも4thと5thリールは演出用であって、払い出しとかに関係なかったですけどね。
いちおう「業界初」だったんじゃないでしょうか。
左端のリールが妙にバグってて、やたらと星一徹vs花形満で対決したり、中途半端なところで停止したり。
こんなこと昨日は一回もなかったんだけど。
総投資1万6000円。
2時間でヤメ。
(+)2万6200円
岐阜市N店(5.5枚交換)に移動。
フラフラとミリオンゴッドのシマへ。
パチスロ必勝ガイドの記事で中武氏がミリオンゴッドで勝っているとのことだったので気になっていたから。
この頃すでに、中武一日二膳さんはミリオンゴッドのエキスパートとして名を馳せていました。
↓当時、高田馬場の編集部のカベに貼ってあった『PGGダービー』の大きな紙。
PGG=中段GOD揃い・プレミアムゴッドゲームです。
PGGを1回引くたびに星印を一つ書き入れていたのです。
この時点で名波アマは残念ながら星なし(PGG×0回)で、30万8000円負けています。
ここに書いてある人たちを合計すると、どれぐらい負けていたんでしょうか。
しかし、内部モードの高低や移行の仕組みを把握するなどして中武さんのように勝っている人がいたのも事実です。
朝からノーGGで1000ゲームちょい回ってる空き台に着席。
初代ミリオンゴッドは「天井」に大きな特典がない仕様なので、“すごくオイシイ空き台”だったというわけではありません。
千円札を25枚ほど用意して打ち始めたら、なんと投資2000円でPGG!
心の準備がまったくできていなかったからムネがキュゥゥゥゥンとなった。
GG消化中、リプ4連×1、リプ3連×1があったのでストックに期待したけど全くナシ。
400ゲームぐらい深追いしたら3900枚しか手元に残らなかった。
(+)6万8600円
今だったら3900枚も交換できれば文句ないっすけどね。
この勢いで!
裏シオラー30に着席。
アドリブで見せ台を予想。
総投資3万3000円であぶなかったけど自力REG×4のあと
BIG×6連&6連の12連チャンで千両箱登場。
ふぅ~~
(+)3万3400円
本日のトータル収支…
(+)12万8200円
最初の店の巨人の星が2時間、ミリオンゴッドとシオラー30合わせて4時間弱。
半日っす。
(´・ω・`)
この翌日、新幹線に乗って大阪に突撃しています。
ちょっと前にパチスロサークルの全国集会で訪問したばかりの大阪ですが、「大阪編」でマンガを1コ作ろうと思い、ネタを補完するため再訪することにしたのです。
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