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便利という名の弊害

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公開日: 2020/09/21

 
 
先日、何か目的があるわけでもなく、いつも降りない駅で電車から外に出た。
 

10年ぶりか、それとも15年ぶりか。電車では毎日のように通過するが、この駅を利用したのはかなり久しぶりだ。

 

あまりにも街並みが変化しすぎていて懐かしさなど微塵も感じず、ぼーっと歩いているとポツリと建っていた寂れたホールを見つけた。

 

せっかくだから遊ぶか。

 

ホール内をぐるりとまわってみたが、機種ラインナップはお世辞でも充実とは言えず、最新機種も皆無だった。レア台を期待していたが、特別興味のそそられる機種はなかったのでノーマルタイプコーナーにあったクレアを少し打つことにした。

 

…あれ、お札が入らない。

 

財布から1万円札を取り出して、サンドに投入しようとするも上手くいかない。原因はなんてことない、このサンドは千円札専用だったのだ。

 

ほんの僅かだが、イラっとした。量で例えるとひとつまみ程度だが、ストレスを覚えた。

 

だが、冷静に考えてみると少し前まではこれが当たり前だった。1回1回千円札を投入するサンドが主流だった。初当りの重い機種を打つときはいちいち両替するのに席を立つのが面倒なので、まず打つ前に1万円札を数枚両替した…なんてこともあった。

 

そんな時代を過ごしてきたハズなのに、1万円札が使えないことに苛立ちを感じてしまった。人間には“慣れ”というのが存在しているが、私は完全に今の便利さに慣れてしまっていた。

 

技術の進歩は日進月歩。もちろん、パチ・スロも例外ではない。月に辿り着けるような劇的な進歩はそうそう起きないが、着実に確実に前進している。そして、知らず知らずのうちに今までの不便から解放されている。

 

だが、便利になっても皆が皆ハッピーになるわけではない。最初は便利に感じていても、いつかはそれが当たり前になる。そして、その当たり前が存在しなければストレスと感じるようになる。

 

今回の1万円札が使えないサンドがまさにそうだ。この他にも、大画面スマホに慣れた人はきっと手のひらサイズのスマホやガラケーにストレスを感じる…などなど、例をあげたらきりがない。

 

便利になったからこそ生まれるストレスがある。なんという皮肉だろうか。それに便利になったからこそ生まれる悲劇だって存在する。

 

新幹線や飛行機などの交通網の発達によって、文字通り日本が、世界が狭くなった。気軽に旅行ができるようになった。だが、同時に日帰り出張という肉体を酷使する労働環境も生まれた。

 

また、スマホ・PCで手軽に公営ギャンブルができるようになって、良くも悪くも際限なく勝負できるようになった。パチ・スロだって、1回1回千円札を投入するのではなく1万円札を使えるようになって、追加投資に対する抵抗が弱くなった気がする。

 

今思えば、現金で馬券or舟券を購入するという行為や両替という行為は、面倒かもしれないが上がり切った熱を冷ます良い機会でもあった。

 

これからパチ・スロはどんどん便利になっていくだろう。だが、あまり便利になりすぎないで欲しいという気持ちもある。もし、スマホをかざすだけでピッと投資ができるようになったら、私は自分を抑えられる自信がない

 

なお、この日、私はクレアを打って300枚ほどプラスで実戦を終えたが、競馬とボートレースで数万円負けた。

 

ホント、便利は恐ろしい。

 

 

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