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グレート巨砲

若手でも月収60万!? DMMぱちタウン専属のお仕事に迫る! 初回ゲストは「やまのキング」

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公開日: 2018/09/14

 

「こいつなんて60万ですよ!」

 

 

 

 去年の12月30日のこと。97%のライターがビジネスでやってくる三重県にカルロストシキ風に言えばオデは1000%!プライベートで訪れていた巨砲選手はたまたま、DMMのタレントなのかライターなのか、立ち位置はよくわかんないけど、とにかくヤングDMMたちが集うオールナイト営業前夜の決起集会(飲み会)におじゃました。

 

そこで、

「ぶっちゃけ、どのくらい稼いでいるの?」

と薄汚れた興味本位で聞いてみたところ「20」「30」「喜んで(ウソ)」「全然稼げてないっす」と7色の答えが返ってくる中、とある若手を指して飛び出したのが冒頭のセリフである。

 

 

 「マジ? カルベンハー」。二度目のウソ。そんなことは言わない。とはいえ清純派だと思ってた黒髪の美少女と初めてF〇CKをする際、太ももに真っ赤なバラのタトゥを目撃したレベルのショックを受けた。

 

 だって60万だよ、60万。巨砲選手のように紙(雑誌)メインでやってるヒューマンがそのくらい稼ごうと思ったら、ざっくりとしたイメージだけど40ページ近く原稿書いて、動画に7、8本出ないといけない。原稿料も右肩下がり(巨砲データバンク調べ)の昨今、いわゆる来店系ビジネスをやらないパチンコ・パチスロライターだと、上限とは言えなくても相当、頑張ってる数字なのだ。

 

 それをツイッターで何となく名前を見たことがあるかなクラスの若手が稼ぎ出してるとは……DMMってそんなにお仕事&お金が貰えるの? 考えてみればあいつら翌日も仕事だもんな。こっちは三重に来てる時点で2万のマイナスなのによ。バーロー! 

 

 みたいなことをアロマティックトークでおしゃべりしたところ、この企画の担当者のA君から、

「DMMの若手にインタビューしてみませんか?

とのお話があった。目先の銭にはクラッシュギャルズを見つけたダンプ松本のように襲いかかるのがフリーライターという生き物。答えはもちろん「やるっ。そしていい女を抱く!」である。 

 

 その後、LINEで何度かふんわりしたやりとりを経て、東京に比べて圧倒的に食えてる若手が多いDMM九州のライターに話を聞くことが決定。そして7月某日。オデは機上の人となったのであった。

 

 

 

 

 グレート巨砲、45歳。これまで一文字いくらのフリーライター稼業に何がしかの意味や可能性(キャッ、恥ずかしい)を見出して生きてきちゃったけど、そろそろ見切りをつける頃かなって気持ちもないわけではない。

 

あまりに条件がよければ転職あるからね。

 

 

 第1回目のゲストは九州地区でナンバー1の知名度を誇る、

 

「やまのキング」

 

 

 

DMMでは企画がキスより簡単に通る代わりに、結果が出なければ稲妻の速さで終わらせる  ウォール街のような厳しい場所である。おそらく、この企画の人気を考えた上での人選なのでしょう。担当A君の気遣いに感謝しながら、

お笑い芸人→パチンコライター(パチンコ必勝ガイド)→代理店の社長→DMM社員

という流転の人生を送っている同級生へのインタビューは……すんなり始まらない。

 

 だって昔なじみだもの。やまキンがガイドで仕事をしていた20年前はオデが一方的にライバル視していたため、ほとんど口をきかなかったけど、この年になると同じ時代を過ごした人に会うだけで懐かしいし、嬉しい。誰と誰がつきあってたとかフラれたとか、〇〇さんは編集部でオ〇ニーしてたとか、辞めた編集部員のパソコンにハ〇撮り映像が残っていたといったクルクルパーな昔話に花を咲かせていると、殺気が! A君が殺し屋の目でこっちを睨んでいる。そうです、これはビジネスなのでした。

 

 

  やまキンってそもそも何でガイドにきたの。

「学生時代に仲間内でどこに所属するわけでもなくコントをやってたんですけど、大阪で「ABCお笑い新人グランプリ」ていう今でいう「M-1」みたいな番組があるんですよ。司会が今の文枝さん(桂三枝)で3000組くらい応募があって、決勝に出るのが8組。それに記念受験みたいな感じで受けたら……受かったんですよ(笑)。それで3位(優勝は中川家)になって、当時は個人情報(保護の意識)なんてないから吉本から松竹からバンバン電話がかかってくるんですよ。そしたら勘違いするじゃないですか。それで東京に出ていって……でも2年くらいなんですよ。お笑いをやってたのは」

 

  仕事がなかったの?

「それが結構、レギュラー番組があったんですよ。テレビが2本、といっても深夜ですけど。それとラジオが2本。で、コミュニティFMを葛飾FMで僕が好きだからってことでパチンコ・パチスロ関係の番組をやってたんですよ。それでガイドが好きだったんで、誰かゲスト呼べないかなって当たってもらって大崎(一万発)さん(王様)水野さんに来てもらったんですよ。で、それをやってる時にリスキー(長谷川)さんと知り合ってまずはパチスロファン。これは機種ページじゃなくて、お笑いページとか実戦記ですけど。その流れで『じゃあガイドでもデータ取りとかあるけどやる?』って言われて、それからですよ」

 

  仕事はあったけど芸人としては食えなかったの?

「生活はギリギリ、デキてたけど、お金が増えるって感じでもなかったですね。それでしばらくして事務所をヤメて……」

 

 

  未練はなかったの?

「ガイドの仕事が楽しかったんで、未練はなかったんですよ。それに売れるヤツって分かるんですよ。ずば抜けておもしろかったり、華があったり。当時はひと山いくらでも、売れるなって思った人は売れてますもんね」

 

  例えば?

アンタッチャブルとか塙くんとか。あと、ネプチューンも売れる前だったんですけど見た瞬間、こいつら売れるなって。まあ、この人売れないだろって思ったのに売れた人もいるんですけど、売れる人はわかりましたよ」

 

  ライター時代は食えてたの?

「最初はパチンコ(の勝ち)込みですけど、(連載の)プレミアムハンターを始めてからは安定しましたよ。あれを8年くらいやらせてもらってるうちにテレビの仕事も増えてきて」

 

 

 ここからはライターとしての苦労話が続くが、ここまでに思いの外文字数を使ったのでやまキンには悪いが全カット。A君には何文字でも良いですよって言われたけど、ネットってそんなに文字数読めないからね。あと、合間合間にハ〇撮りについてまた話してたから、まとめるのがめんどくさいんだよ。何が「今は携帯の画面が普通のままで録画できるソフトもあるんですよ」だ。

 

 

 

後編に続く

 

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