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パチンコ・パチスロブログ

名波誠

公開日: 2014/09/07

パチスロ用語・旅打ち用語の基礎知識シリーズ。あいうえお順の5回目は「お」から始まる言葉です。

 

おきなわ【沖縄】

 

ボクが初めて沖縄県を訪れたのは2001年(平成13年)4月のことでした。大阪にある南港(なんこう)フェリーターミナルから沖縄本島行きの船に乗ったのです。

クルマ1台&大人1名の乗船料金は片道で8万円。つまりは往復で16万円(!)ですよ奥さん。

※ちなみに現在の大阪→那覇航路の料金は、長さ4.0m~4.99mのクルマ1台&大人1名で片道10万3910円です。もともと高かったのに、さらに高くなっちゃいました。

大阪南港→那覇港の図

 

4月13日から5月19日まで一ヶ月以上滞在し、毎日パチスロばっかり打ってました。往復のフェリー代だけじゃなく、宿泊費や食費、そして何より、まだ借金が残ってましたから。

パチスロで勝たないとヤバイわけです。

一ヶ月以上滞在したにもかかわらず、世界遺産に登録された直後で日本中から注目が集まっていた首里城(跡)にすら行きませんでしたし。ほとんど観光らしい観光はしませんでしたねー。

 

 

当時の沖縄県には25φコインのパチスロ機は1台も存在していませんでした。100%すべてのホールが、30φコインの「沖スロ」しか設置していなかったんです。

すべての機種に「告知ランプ」が搭載されていたのも特徴的ですね。

たとえば本土に設置されている25φの4号機サンダーVは告知ランプを搭載していませんが、それの沖スロ版である「サンダーV-30」にはリール窓の右側に「WIN」ランプがあり、ボーナス確定の状態になると点灯するんです(ただし完全告知ではなく、ボーナスフラグ成立後の6分の1(?)とかで点灯するシステム)。

※4号機サンダーV(25φ)にもリール窓の右側に「WIN」ランプは存在しますが、それは小役の払い出し時に点灯するだけであり、ボーナスフラグとは一切関係のない仕様でした。

 

残念ながら写真がありません。

当時のケータイ電話には、まだカメラがついてなかったんです(そもそも画面表示がモノクロだったりするし)。デジタルカメラも画素数がショボイわりに価格が高く、まだ一般的ではありませんでした。

 

沖縄県に上陸して一番最初に打った機種は、名護市にあった6.9枚交換店の「アステカ-30」です。

本来は白い電球を使用するべきボーナス告知ランプですが、一部の台にだけは赤い電球が使われておりまして。

いわゆる「赤目(あかめ)」と呼ばれる高設定示唆サービスです(設定456濃厚)。それなりにお金を突っ込んで実際に告知ランプを点灯させるまでは、白く光るのか赤く光るのか誰にも分かりません。

単なる「高設定札」のサービスとは違って、なんかアツいでしょ?

カド2が赤目であると判明した瞬間、カドとカド3のプレイヤーが肩を落として席を立ったりなんかして。

かと思えば、そのあとカド台に座ったおバアちゃんが告知ランプを光らせて、じつは赤目だったりするわけですよ。なんだよ、カド2だけじゃなくカドも赤目かよ!ってね。

で、そのおバアちゃんがアステカのCTをうまく消化できず、すぐにヤメていったりなんかして。なんだよ、速攻で空くのかよ赤目!ってね。

 

ぜんぜん語り尽くせないので、つづきは次回。

 

2003年4月ピータイム店内
↑2003年、2回目の沖縄県訪問時に撮影。

 

2005年サンダーV30・アステカ30
↑2005年、3回目の沖縄県訪問時に名護市のP店で撮影した「なつかしの名機として展示されていたアステカ-30とサンダーV-30」。パッと見ただけじゃ25φか30φか分かりませんけどね。

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