万枚くん
記事一覧へ公開日: 2015/11/15
引き続き、1997年7月27日の時点でこの世に存在しなかったものについて紹介していきます。
【4】マンマイという言葉がなかった
今ではスロッター同士の会話などで普通に出てくる「マンマイ」「万枚」という言葉ですが、1997年(平成9年)頃には全く存在していませんでした。
もちろん「コインが1万枚ぐらい出た」というような文脈の中で使われることはありましたけどね(当たり前)。
「万枚」という言葉が単体で使われるようになったのは2000年(平成12年)の前半ぐらいからです。
1998年に登場した「ウルトラマン倶楽部3(BタイプのCT機)」は設定6の機械割が高く、1万枚を超えることが珍しくない仕様になっていました。ボクの記憶ではメジャーな機種で正々堂々と1万枚を超える可能性を秘めていたのは、これが最初だったんじゃないかと思います。
その後は1999年に登場した「大花火(Aタイプの大量獲得機)」を始めとして、1万枚超え可能な機種が続々と登場してくることになります。
そうした状況を受け、2000年頃から「マンマイ」「万枚」という言葉がじわじわ広まっていくわけです。
ちなみに競艇界では1万円以上の配当がついた勝舟投票券のことを特別に「万舟(マンシュウ)」と呼ぶのですが、パチスロの万枚(マンマイ)も当初は、そのニュアンスを含んでいたと推測されます。っていうか少なくともボクは2000年頃、マンシュウの類義語みたいな感覚でマンマイという言葉を使い始めましたけどね。ほかの人は、どうなんでしょ。
さらに時が少し流れ、2001年12月のことでした。漫画雑誌「パチスロパニック7」に、あの男が初めて登場するのです…
顔が今と違う(´・ω・`)
ただし、まだ「万枚くん」というタイトルは使われていません。
いまや万枚の代名詞的な存在ともなっているサマンサ三吉先生は『いてまえスロッター・サマンサ三吉の大阪緊急レポート』という名前の読み切り漫画でパチスロ漫画誌に初めて登場したのです(知らなかったでしょ?)。
その後、2002年から『大阪いてまえスロッター万枚くん』というタイトルの漫画の連載が始まったことにより「万枚」という言葉がスロッターの間に急速に浸透していき、今に至ります。
《おまけ》
最近の万枚くん。いろいろ苦労しつつ、今も本気で万枚を目指しています。
『万枚くん』は漫画誌「パチスロパニック7」「パニック7ゴールド」「別冊パチスロパニック7」の3誌にて好評連載中。
ライター・タレントランキング