なぜか黄門ちゃま
記事一覧へ公開日: 2016/07/17
堀川にかかる五條橋を起点にして、総延長700mの円頓寺(えんどうじ)商店街をぶらり歩いてきました。いよいよ終点が近づいています。
かつて市電が走っていた大きな道路(江川線)とぶつかる場所に、やや唐突に、4体の像が置かれているのですが。
織田信長さん(1534-1582)。現在の愛知県稲沢市出身です(名古屋市中区出身説もあり)。
火縄銃を手に、どこかを見据えていますね。
豊臣秀吉さん(1537-1598)。現在の愛知県名古屋市中村区出身です。
こちらは手に何も持っていませんね。なんとなく物足りない…。
徳川家康さん(1543-1616)。現在の愛知県岡崎市出身です。
この像は家康さんが三方ヶ原の戦い(vs武田信玄)で大負けこいてガックシきてるときの、かっこ悪い肖像画をもとにして作られています。
なぜ、このチョイスだったのか。真意を製作者に聞いてみたいものです。
でも、この家康さんのチョイスより、もっとナゾなのが4体目。
水戸光圀さん(1628-1701)。もちろん、現在の茨城県水戸市出身です。
一応、家康さんの「孫」にあたる人物なので、まったく関係ないとも言い切れないですけどね。
…と思ったら、当時の新聞記事によると、「この像を作るために数百万円のお金を出した人が水戸黄門を好きだったから」ってのが正解らしいです。
(´・ω・`)
像のある交差点から、さらに進むと
※画像は『昭和イラストマップ・名古屋なつかしの商店街』(風媒社刊)より引用。赤い線は名波アマ加筆。
『新京極パチンコ』があった場所は今…
んー、どうでしょう。
もしもここが、藤井正一さんが昭和10年頃に出店したという『京極遊技場』と関係のある場所だとするならば。
【鋼球式パチンコ発祥の地】としてハタを立てることができるんですけどね。
現時点では資料が足りず、特定に至りません。
『昭和屋パチンコ』があった場所は
シャッターですねえ。もとが何屋さんだったか、よく分かりません。
『正村パチンコ』があった場所は
空き地になっています。
この「正村パチンコ」というのが正村ゲージの正村竹一さんと関係あったのかなかったのか。これも現時点では資料がないので分かりません。
ただ、昭和12年頃に正村竹一さんが初めて開いたパチンコ店の『スピード野球ボール』がココじゃなかった、というのは少なくともハッキリしています。
そして円頓寺商店街のアーケード街が、そろそろ終わろうかという頃合いに見えてくるのが…
かつてパチンコ店が16軒も存在した円頓寺商店街において、今もなお現役で営業を続けている唯一の店舗
※これはアーケード街側ではなく、裏側の看板
『パチンコちとせ』です。
昭和28年の地図には『千歳パチンコ』と書かれています。
この場所にだけ『(店舗前に)自転車いっぱい』という付記があるので、もしかしたら地域一番店のような存在だった可能性がありますね。
驚いたのが、ちょっと失礼な言い方になってしまうかもしれませんが「すごくちゃんとしたパチンコ店」だってこと。
商店街の一角にある店舗なので、もっと古くさい雰囲気で、しかも空き台だらけってのを勝手に想像していたのですが。なんのなんの。
会社帰りのお客さんで、大いに賑わっていました。さらに、店員さんの動きが最高にナイスだったことも、ぜひ付け加えておきたいところ。お客さんが多いのも、これなら納得です。
さすが、生き残るだけのことはありますよ。
失礼な言い方で本当ごめんなさい。
最近では、あまり見られなくなった「ステンレスパイプ」のドル箱置き場。15年前とか20年前ぐらいは、これが当たり前でしたけど。
いかがでしたか?
アーケード街の西側の終点。ここから名古屋駅までは徒歩10分ほどの距離です。
ピンポイントで碑(ハタ)を立てるのは難しいかもしれませんが、この商店街全体をフワッと『パチンコ発祥の地』として捉えることができなくもない気がするんですよねー。
昭和17年~昭和20年にかけ、戦争のため、いったんはパチンコが全面禁止になったあと、昭和21年頃に名古屋でパチンコが復活。
その昭和20年代に営業を始めた老舗のパチンコ店が、いまも現役で、しかも繁盛してるんですよ。
すごくね?
(´・ω・`)?
円頓寺商店街の西側の入口までは名古屋駅から徒歩約10分。なにかの機会に、ぜひお立ち寄りください。
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