運命のフェリー
記事一覧へ公開日: 2020/03/12
「パチスロひとり旅Classic」です。
そろそろ昔話じゃなく、最近のスロ実戦のことにも触れようと思ったんですけれども。
たった7~8行ぐらい書いただけなのに、いきなりネガティブな、不快な雰囲気になってしまいまして。
消しました。
でもやっぱり、昔話ばっかりってのもなあ。
ふりだしに戻って、また書き始めたんですけどね。
消しました。
↑たったこれだけを書くのに、ブログの管理画面を開いてから2時間が経過しています。
いろいろアマチュアすぎるので、やっぱり昔話にします。
(´・ω・`)
凹むわー
2001年1月3日(水曜)
午前10:00
滋賀県彦根市のビジネスホテルをチェックアウト。
フェリーの予約OK!
次回の漫画は「三重県オールナイト営業(年越し実戦)編」でキマったので、すこしの間、ネタのことは一切考えず自由に行動することができます。
だったら正月の帰省をかねて北海道に行き、“活きのいいエイトマン”を打ちたいなと思ったのです。
電話で北海道行きのフェリーを予約しました。
昼12:00頃
福井県敦賀市に到着。
漫画の原案をコンビニからFAX送信
夜23:30発の小樽行きに乗るまでどうやって時間つぶそう。
スロ?
敦賀市S店(等価)へ。
サンダーV…投資2000円でヒットして1時間ちょいでヤメ。
(+)2万2700円
ウラくさい。
(´・ω・`)
絶対にウラとまでは言い切れない
フェリー乗り場に来てみたけど風強すぎ。
発券カウンターで「日本海が大荒れの天候なので小樽への到着が大幅に遅れる可能性があります、あらかじめご了承下さい」と言われた。
途中、どこかの港に避難することもありえるんだとサ。
大丈夫かいな。
22:00
敦賀新港の波が高すぎて危険なため、ここから6km離れた旧フェリー乗り場からの出港に変更するとアナウンス。
先導カーについていき、大行列を作って敦賀市内を移動。
途中、何台か道に迷って混乱。
大学生のときに何度か利用したことがある、古いフェリー乗り場に変更となりました。
そっちのほうが比較的、波がおだやかなんですってよ。
ボクは古いほうの乗り場もよく知ってるから先導カーに頼る必要がなかったけど、途中の赤信号ではぐれたりして、何台かのクルマが迷子になっていました。
定刻の23:30になっても出港せず。
天候の回復を待って、翌朝5:00頃に出港するらしい。
すでに船に乗り込み、客室に入っています。
とくに急いでるわけじゃないので、こちらとしては寝るよりほかありません。
もともと片道21時間だったものが片道27時間になるだけです。
2001年1月4日(木曜)
朝6:00頃
スッゲー揺れで目が覚めた。
過去に記憶のない
スッゲー揺。
(´・ω・`)
原文ママ
いつのまにか出港していて、そして、船が揺れていました。
万が一のことも考えてしまうぐらい恐ろしい揺れです。
「洞爺丸」だろこれ、と思って数パーセントだけど死を覚悟しました。
朝6:15
船長から緊急アナウンス。
「現在地は越前岬沖ですが敦賀に引き返します」と。
越前岬は敦賀のすぐ近く。
出港した直後、速攻でヤバくなったようです。
おいおい。
敦賀港に戻ったら戻ったで波が高すぎて接岸できず。
イカリをおろして湾内に6時間ちょい停泊。
15:30
強行接岸。
しかし波が高くて人道ゲートは取り付けられず、人もクルマも車両甲板からの下船。
というわけで、船に乗り込んでから約16時間。
敦賀発→敦賀着のドキドキクルージング終了です。
運賃は払い戻し。
3万_680円が戻ってきました。
(´・ω・`)
すこし儲かった気分
すっかり予定が狂ってしまいました。
敦賀市には健康ランドがないし、さて、どうしたもんかと。
仕方ないから、ほんの数日前まで滞在していた三重県に戻ったわけですよ。利用しやすい健康ランドとサウナもあるし。
そしたら、一緒に年越しスロをやった顔見知りのスロッターたちは帰省していて全員が不在…
と思ったら。
ひとりだけ、実家が遠いから帰省していなかった社会人スロッターのMさん(三重県の支店に勤務、女性)がおりまして。
あらま、帰省しなかったんですねMさん。
ええ、そうなんですよ。
じゃあ、結婚しましょうか。
ええ、そうですね。
(´・ω・`)
細かい駆け引きは省略しています
あのとき、フェリーが無事に北海道にたどりついていたとしたら。
しばらく三重県に行かなかった可能性もありますからね。
結婚してなかったかもしれません。
あれから、およそ20年。
離婚も別居もせず普通に暮らしています。
(´・ω・`)
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