どうしてパチンコライターは大当りすると「ありがとう」と言うのか
記事一覧へ公開日: 2022/07/30
サブカル女子とカラオケに行く機会があったら、絶対にスピッツを歌いなさい。
世代的にavexとヴィジュアル系と草野マサムネに育てられたせいでしょうか。歌詞というのは抽象的であればあるほど良いと考えている節が私にはあります。
小室哲哉の歌詞なんて何のことを歌っているのかサッパリだし、そもそも本当に何かのことを歌っているのかさえ熟女になった今でもわからないままですが、安室奈美恵の『Body Feels EXIT』の一節「ねじれてた気持ちと一緒に海沿いを歩いた」を思い出すたびにこう思います。言葉を生業にしていいのはこういう一文が書ける人なのであって、私なんてどうあがいたって一生一人前にはなれないんだ。私なんかろくなもんじゃねえんだから絶対調子に乗ってはいけないよぴいぴいぴいぴいぴいぴい、と。
私の中のリトル清原がそう囁き続けてくれているおかげで、今日も周りへの感謝を忘れることなく、素直に「ありがとう」を口にすることができています。おっぱい以外にこれといった長所がない私ですが、人前に出る仕事を続けられている理由はそういうところにあるのかも。なんて自己分析をしてしまうくらいには、リトル清原のパワーがやや足りていないのかもしれませんが。
そして最近、パチンコライターがよくやるとある行動は、もしかしたらリトル清原の働きと因果関係があるのかもしれないと考えるようになりました。パチンコライターって、大当りするたびになぜか台にお礼を言いますよね? ありがとう、ありがとう……って。かく言う私も毎度やってしまいます。
大当りのお礼を台に向けて言うのは意味がわからない、とよく言われます。“誰”に対する“何”の感謝なのか。大事なお金と貴重な時間を失うリスクがあるにもかかわらず勝負に挑み、その末に見事大当りを掴み取ったのはまぎれもなく自分であり、しいて言うならばお礼や感謝の対象は自分自身であるべきだ。にもかかわらず、台にお礼を言うのは筋違いなのではないか、と。
しかも改めて考えてみると、図柄が揃っているだけの液晶画面に対し、手を擦り合わせながら「ありがとうありがとう……」と何度も何度も仰々しくつぶやく光景は異様ですよね。パチンコをよく知らない人からすると、並んだ3つの数字を敬う新興宗教か何かだと思れちゃうかも。その並んだ3つの数字は、確かに私たちを極楽浄土へ連れて行ってはくれるんだけどさ。しかも筐体ってフォルムも、ピカピカしていてありがたみがあるところも、どことなく仏壇っぽかったりもするんだけどさ。
異様な行動だよなぁ〜とは思いつつも、台に向けて手を合わせお礼を呟くことを、私は一生ヤメられないと思います。いろんなJ-POPで歌われているように幸せは自分で掴み取るものかもしれないけれど、大当りは自分で掴み取るものじゃなくて神様からの授かりものだと深層心理では認識しているからかもしれない。私みたいなろくなもんじゃねえヒキの人間が、たった一人の力で319分の1が引けるわけがねえぴいぴいぴいと、リトル清原が囁いているのかもしれない。だから自然とお礼を言いたくなってしまうのかも。
これからもあらゆる動画でやたらと台にお礼を言うライターをみることになるとは思いますが、信心深い方なんだなぁ〜、変なスピリチュアルにハマるなよ〜、まぁパチンコにお金使っているうちは大丈夫か、くらいに思っていただけると幸いです。
PS.クスッと笑える日常あるある系の歌詞があまり好きではありません。
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