飛躍的に進化したけどある意味進化していない
記事一覧へ公開日: 2023/09/12
原稿締め切り放り出している間に月日は進んでいきまして。8月4日に52歳の誕生日を迎えることができました。「52」というなんとも中途半端で区切りでもなんでもない年齢ではありますが、数字的響きはもう完全におじさんですよね。ついこの前、50歳か……なんて思ってから、もう2年経過しています。月並みですが時間の経過は本当に早い。
今回はそんな年齢的なことと、パチンコ・パチスロを絡めたコラムを書かせてもらいたいなと。仕事もメーカー勤務で、未だ趣味「パチンコ」と言えるくらい遊技している私でございますが、初めて打ってからもう35年。35年間打ち続けているわけですね。海外旅行やらちょっとした締め切りを抱えて家にこもったりしたこともありますが、それでも1週間ホールに行かなかったことはこの35年間ないはず。息をするかの如く、とは大げさかもしれませんが、パチンコとは共に並走しながら生きているのは間違いないです。
初めて遊技した機種は平和さんの『ビッグシューター』。インターネットもない時代です。先輩についていって「これ面白いんだよね」と勧められた機種を遊技したのが最初でした。『ビッグシューター』は継続のための貯留が大変画期的な機種として大ヒットしましたが、この機種を遊技してパチンコ人生がスタートしました。
ただ、それ以前にパチンコには興味があったのだと思います。18歳未満のまだ入場できないガキンチョの頃にはパチンコ店に入店するなんて勇気もなく、父母もパチンコとは無縁の人生でした。しかし自宅近所に釣り堀がありましてね。そこに手打ちのアレパチのようなゲーム性を搭載したアミューズ機があって好きでよく遊技したものです。20円で4×4の16マスにラインが揃うと50円程度の景品交換チケットが出てくる。そんな駄菓子屋ゲームが昭和の時代にはあっちこっちにあったと思うのですが、あの手のマシンで少し手持ちを増やして駄菓子を手に入れる。適当に打たずに弱め打ちしてあまり入らない入賞口を狙うといった攻略要素、それに伴って得られる特典に子供ながらハマっていったわけですね。
パチンコもまた、そういった探求心が結果に表れる「遊技」でしたので、初打ちから夢中になっていくのは早かった。先輩に連れて行ってもらった翌日には地元の友達と近所のホールに打ちに行った記憶があります。
またその時期にパチンコ攻略誌「パチンコ必勝ガイド」や「パチンコ攻略マガジン」が発刊され、攻略誌と共に自分の知識がグレードアップしていったのもパチンコに魅了されるきっかけでありました。パチンコ必勝ガイドの創刊号、2~3号まではまだまだオカルト的記事も多く、西陣の『リムジン165』のリーチ目はこれだ!という記事にあった出目をメモ書きして、隣町にあったパチンコ店でドキドキしながら当時の学生には高価に感じたデジパチを打って大負けした記憶も今となっては懐かしい。ええ、もちろんないのですよ、リーチ目なんてものは。ただそれ以前のストップボタン付きマシンではそういった攻略法があったのは事実なので、信じてしまいますよね。なんも知らないわけですし、何はともあれ雑誌に掲載されている情報ですから。
当時、テレビ朝日系列の深夜番組「プレステージ」にて、必勝ガイド編集部がパチンコ講座的なコーナーを持っていまして。若手編集者時代の大崎一万発さんがグラビアの人たちにパチンコを教えるといった内容だったと思います。偶然そのロケ現場を目撃したことがあったのですが、そんな大崎さんとも30年以上なんだかんだ付き合いがあって今も番組でご一緒しているとはなんだか笑えます。『ワニざんす』だっけかな? 教えていましたよ、グラビアアイドルに笑
そんな時代から飛躍的に進化しましたよね。逆を言えば進化していないとも言えるのかな。どう変化していくのか。仕事云々ではなく、個人的に、死ぬ間際に、あんなことこんなことあったと今後も振り返っていきたいので「パチンコ・パチスロが永遠でありますよう」お願いしたいところです。なくなると困るのよね、ほんと。
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