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ケンタブリトニー

第85回 アウトサイダーな過去の話

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公開日: 2019/08/01

やぁやぁやぁどーもケンタブリトニーだぉ。

 

 

 

 

最近はDMMボートちゃんねるでとりあえず生配信にちょこちょこ出させてもらったり、

 


 

 

ボートレース江戸川ミニスカ営業部が配信されたり、

 

 


 

 

なんかとりあえず秘密の会合に出席したりとなんとなく忙しい日々を送らせてもらっているケンタ中年です。

 

どうにかアルバイト生活も抜け出して、しっかり働けることを心から感謝しておる次第でごぜーます。


昨今話題の吉本興業の闇営業で、謹慎に追い込まれた芸人さんもきっとこんな気持ちだったのかしら、と感情移入しちゃったりしとるわけですな。

 


好きな時に好きな物を食べる。タバコを好きに買う。
好きな物を飲む。

 


なんでも無いような事が幸せだったと思うという歌詞は人間の心理なんじゃねーのかなと思ってしまいますな。

 


そんなケンタ中年もさる10年前ケンタ青年だった頃、おもっくそ恫喝されて前の会社によって業界からカリカリに干されかけた事がありましてね。

 



10年前、あの頃のケンタ青年はMUTEKIでした。
入って半年は、12万を切るお給料だったのに、ある日を境にこいつもしかして仕事出来るんじゃねーか説をもたれて、お給料が一気に28万円にジャンプアップしました。


他の制作会社の人間に聞くと、3年やっていてさらに当時の俺よりも仕事量が多いのにお給料が「15万円です!」と言うのはザラなようで、「28万円」は中々高額だった模様。


でも業界2年目の新人ケンタ青年はお給料に対して鬼の不満を持っていたんですな。


それもそのはず、当時僕の会社のお給料は手渡し。
そのため会社の人間がどれくらい給料をもらっているかわかったんですね。

 


2年経っても後輩が入っては辞め、入っては辞めを繰り返し、今だに下っ端のケンタ青年。周りの先輩からの仕事外の雑務を全てやらされていた。

 


なのに先輩達は推定50~60万円もらってる。
当時から先輩だった、まだ鬼Dとも呼ばれてなかった市川さんなんて、当時月に3日も会社に出社しないで近くのDステーションか代々木上原のジャックアンドベティーに入り浸ってるのに、月収は60万オーバー。

 


副社長にいたってはゴリゴリに副業してるのに100万円オーバーな厚みの給料袋を手渡しでもらっていたのですな。

 


そりゃ来る日も来る日も使い終わった大人のおもちゃを洗ったり、使用済みの避妊具を捨てたりする業務内容。


さらに映像業界に興味が無いのに制作会社に入ったケンタ青年、その上をいくくらいにAV業界に興味NASAで入った為に腐り方はMAX。


加藤の乱ばりに賃上げ運動を1人でおこなっていると社長から、

 


「俺も給料もらってないくらいに会社がキツい、今が踏ん張り時だから頑張ってくれ」

 


と言われる始末。

 


ただしケンタ青年はその日に、2700万のベンツを乗りまわしている社長が、カイエンの最上級クラスを納車するのをこの目でハッキリと見た。


こうなったらどーなるか、答えは1つ。

 


「直で仕事を受けるしかねーな」

 


仕事がそこそこ出来るようになると、人材不足のAV業界ではちょいちょい仕事の依頼が会社を飛び越えて個人にくるんですね。



そりゃーね、今後給料が上がるわけも無いような発言をされたらね、会社を飛び越えて直で仕事しちまいますよね。

 


そして直での仕事を月に何回かしていくうちに、会社では市川の乱がおきまして市川さんが会社をやめ、市川さんの後輩も後を追うように辞めていき、気づいたらケンタ青年だけ会社に残ることに。



会社を辞める時というのはきっと鬼の様に悩んだりする人が大半だろうですけども、僕の場合は秒で、

 


「市川さん居ないなら会社いる意味ねーな」

 


とその日に

 


「明日から会社いかないっす!」

 


とフランクな感じのメールで退社を通知。

 


会社としてはこれ以上辞められても困るから当然面談を希望。
その面談を全て中学生よろしく「お腹が痛いです」というメールで回避していてたケンタ青年。
でも給料は手渡しだった為に給料日で社長と対面する事に。

 


「ちょっと色々な手続きがあるし、後々返した返してないと揉めたら大変だからカメラ回すからね」 

 


と今流行りの

 


「テープとか回してへんだろうなー」

 


をこっちから言う隙すら無く録画されていた時点で異変に気づくべきだったんですね。


そこからはあれですよここには書けないような怒号の嵐。


それもそのはず、当時社長は俺の直営業を知っていて、それに対していつ注意をしてやろうかと思っていた様子。
それが不意にも辞めますといきなり言うなんて晴天のの霹靂。

 


「テメーがこっそり直で仕事してるの知ってるんだよー」

 


と言いながら、机をおもむろに蹴り飛ばす社長。


「あの時のお前は目がキラキラしていたよ。こいつとなら仕事してーなと思ったんだよ。初めて会った時から思っていたよ。俺達は家族だろ!」

 


と情に訴える社長。ここまで言われたら素直に謝って、

 


「すいませんでした。これから色々な人が抜けていったのを二人三脚で建て直して頑張りましょう。自分が甘かったです。」

 


と言ってしまうのが世の常じゃないですか。
そんなにも会社が俺の事を思ってくれてたなんて。
しかも家族だと思ってくれていたんだって。

 


でも当時のケンタ青年は今の50000倍は腐っていた上に、初めて会った時のケンタ青年に対する社長の感想は、



社「イッチー、このケンタ青年どう思う?」


市「社長!メガネをしている人間って信用ならないんですよね」


社「だよね。とりあえず雇ってみて続いたら残そうか」

 


と言われていたケンタ青年。
もちろん上に書いてあるような謝り方もせず

 


「マジで机蹴ったりする人いるんだー。ウケるー。怒っても無駄なら今度は情に訴えかけるとかベテラン刑事ですか??」 

 


と答えた挙句

 


「トイレいったり、電話したりしていいですか? えっダメ? それだと監禁になりますよ?テープ回ってるんだからそれ超まずくないっすか?」

 


と言う始末。今こうやって改めて書いていて思いますが、本当に頭がおかしかったと思いますよ。

 


火に油を注ぐとは言いますが、油の中に火柱を入れた様なこの発言でさらに怒ってしまった社長。



当時SDカードなんてものは無く、テープで録画していた為に、テープを山ほど追加しての話し合いは10時間を超えてやっと終了。

 


終わったのも解決したからではなくて、一生平行線だったために社長が諦めたってのが理由で、去り際の、

 


「テメーには一生ウチの敷居を跨がせねーからな!」 

 


と言われた事を今だに強烈に覚えてます。

 


その後、ファックスでこいつを仕事で使わないでくださいと色々な所に送られたり、普通に仕事をしていたらたまたまその社長に会って、周りが引くくらいの大きな声で怒号を浴びせさせられたりしたのを書きながら思い出しましたね。

 


でも社長との物語はそれで終わりではなく、会社がピンチになった時に2年ぶりに一緒に仕事をしたりして、何故か物語は円満解決。

 


今の吉本興業のお話をワイドショーで聞くとその当時の事を思い出してしまうためか、あっちも早く円満解決してくれる事を切に願うケンタ中年でした。

 


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