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リスキー長谷川

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公開日: 2021/04/28

 

 

この度、DMMぱちタウン内にてブログを書かせて頂くこととなりました。株式会社ユニバーサルエンターテインメント開発本部所属の……リスキー長谷川と申します。

 

 

 

 

私のことを知っている人からすれば、この紹介でしっくりくるでしょうが、「会社員でリスキーってなによ?」って思うのが通常の感覚。1回目のコラムということもあり、自己紹介を兼ねて自身のキャリアをちょいと振り返らせてもらえたらなと思います。はい。パチンコ業界歴を今回改めて数えてみましたが、29年目になるのですよね。

 

 

本コラムでも使わせてもらっているペンネーム「リスキー長谷川」ですが、私がパチンコ雑誌デビュー時につけさせてもらったペンネームです。まだDMMさんが立ち上がる前にあっちこっちの雑誌でひたすら原稿書いておりましたので、その当時パチンコ雑誌を読まれていた方ならば名前くらいは知ってもらえていた……はず。

 

ちなみにその当時とは? パチスロで言えば3号機から4号機に変わる時に誌面デビューし、4号機が撤去され5号機に完全移行するまでと書けばなんとなく時代とリンクするでしょうか。

 

その後、縁あって現在のユニバーサルエンターテインメント、当時のアルゼに入社することになるのですが、この入社する流れは自分の人生を振り返ってもなかなかダイナミックかつ、人の縁って面白いなと思う出来事でした。

 

 

 

 

動画配信サービスの「パチテレ!」。当時「パチテレ!」はアルゼグループの完全子会社ということもあり、「パチスロ攻略専科」という新台紹介番組が存在しておりました。

 

 

 

 

その番組に私はレギュラーとして出演していたのですが、その縁でアルゼ広報チームと仲良くなるのです。当時4号機から5号機への変遷は、まんま現在の5号機から6号機への入れ替わりと同じ。当時ライター活動かつホールコンサルティング業務をしていた私は、5号機市場への不安をよくアルゼ広報チームに意見をぶつけていましたね。「パチスロ大丈夫なの?」と。

 

5号機移行への不安しかなかった私に、当時の開発責任者の方をご紹介いただき、食事に行くこととなりました。その方はメーカーをいくつか渡り歩いた業界内有名人。何度がご一緒させていただく中、5号機市場に対する素直な不安をぶつけた時にこのような返答があったのです。

 

「メーカー側の、作り手視点も経験してみたらどう?」

 

……確かに規則変更後メーカー側の苦悩を何も知らない中、できない理由もわからず評論を続けるのもいかがなものか。この一言は当時先行き不透明で何をしていくべきか迷っていた自分には刺さる言葉でした。

 

年齢的にも30代後半。それまで個人事業主としては順風満帆でしたが、組織的なことも勉強したいと思ったこともあり、当時うまく流れていた仕事を全て断ち切って(大小二桁は仕事ありましたから)アルゼに入社することになるのでした。これが2008年の出来事。

 

という経緯でライターからメーカーへ就職するわけですが、広報業務の活動の幅が広がったと言えばいいのか、このリスキー長谷川という名前を再度ひっぱり出しきて、最近はぼちぼち活動しているのが現在。その大義名分は自社の機械が少しでも皆様の目に触れてほしいがため。さらに拡大解釈すると、パチンコ・パチスロ業界の盛り上がりがあるからこそ、メーカーが成り立つ。業界の発展こそが所属する会社の繁栄につながると思って活動させてもらっています。

 

 

 

 

せっかくユニバ内にいて内情も発信できる立場。次回からはユニバマシンのデビュー秘話をメインに書かせていただければと思っています。機械が開発され、営業活動するまでの間にどのようにデビューさせるか、業務っぽく言えばセールスプロモーションとブランディングが主業務となりますので、思い出深いマシンについてつらつら書かせてもらいます。

 

まずは『SLOT魔法少女まどか☆マギカ』のおかげでユニバーサルカーニバルが開催された話からはじめていきます。是非ともお付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

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(C)UNIVERSAL ENTERTAINMENT

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