バンザイか土下座か・元クズ田中
記事一覧へ公開日: 2017/04/14
1988年に香川⇔岡山間で瀬戸大橋が開通するまでは、本州との移動はフェリーのみ。その後も1999年にしまなみ海道が開通するまで直接、陸路で本州とつながっていなかったことがかかわっているのかわからないが、僕が生まれた愛媛の人間は一般的に、保守的で閉鎖的だと言われている。
スロ業界で愛媛出身者というと、ガイドのグレート巨砲さんにパチスロ実戦術の山田銀河。パチスロ必勝本のKEN蔵くん。僕はKEN蔵くんとは会ってお話したことはあるけれどそこまで深く接しているわけではないので、その性格というのはわからないが、他の二人を見ても、納得する部分はある。スロライターにはなぜか茨城出身者が多いように、やはり県民性というか、生まれた土地によって形成される人格というのはたしかにあるのだろう。
僕がいまいるフィリピンにしてもそうで、こちらで働いている人間に香川出身者は割といるのだけど、愛媛出身者は皆無。思えば同級生も多くが一度も県外へ出ることなく地元で就職し、地元で暮らしているわけで、やはり保守的で閉鎖的な面はあるのだと思う。
いまでこそアジアをバックパックひとつで周ってみたり、アフリカに金を掘りに行ったり、フィリピンに暮らしたりしてはいるが、そもそも僕は外国が嫌いだった。海外になんて興味もなければ一生、行く必要なんてないと思っていたのだけど、いまからちょうど10年前。2007年の1月に、ある意味で仕方なく、付き合いでサイパンへ行ってから、世界が広がった。この経験がなければいま、こうしてフィリピンに住むことなんて絶対になかったわけで、まあ、これがなければないで、また違う人生を楽しく生きていたとは思うけれど、それでも人生を変える、ひとつの大きなきっかけになったことは間違いない。
いまからたった10年前。すでに人格形成がなされた当時26歳の僕でさえ、その後の人生に大きな影響を与える経験だったわけだ。それが、フィリピンのスラムに暮らす貧困層の子どもたちにとっての経験ならば、その後の人生に与える影響は絶大だろう。
例によって〆切1日遅れの金曜更新になってしまっているが、次回の更新予定日である4月20日の木曜日に、フィリピンの子ども33名を連れて日本へ行く予定となっている。小学生から高校生までの計33名(スタッフ込みで総勢46名)。もちろん子どもたち全員が初めての海外であり、ほとんどは自分の生まれ育った地域から出たこともないような子たちである。
4年前まで路上で物売りや物乞いをしていたことさえある彼らが、支援をしてくださっている皆さんのおかげで日本へ行けることになり、さらにステージの上で演奏することができるだなんて、正直言って、言い出しっぺの僕でさえ思ってもいなかった。彼らが日本でなにを感じるのか、いまから非常に楽しみである。
とはいえ、ここはフィリピン。日本行きまで残り一週間を切ったいまの時点でも、正直なところ確実に日本へ行ける保証はない。空港で止められる可能性もあるし(手続き上はなにも問題がなくても)、直前になって、やっぱり行けませんでしたごめんなさいという可能性は、まだまだ残っている。
来週の更新日に「やったぜ日本‼」となるのか、「土下座の謝罪投稿」になるのか。それはもはや神のみぞ知るところではあるが、無事に日本へ行けたなら、4月22日は茨城県の取手ウェルネスプラザで、4月23日は東京の府中市生涯学習センターというところで、ともに14時から子どもたちの演奏会を行います。
フィリピンのスラムの子どもたちってどんなんだろう。田中がなんか話すらしいから冷やかしに遊びに行ってみるか。理由はなんだって構いません。もし来週の投稿が土下座の謝罪投稿でなければ、ぜひ日本でお会いしましょう。
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