お知らせ クーポン ヘルプ

パチンコ・パチスロブログ

元クズ田中

自由の象徴・元クズ田中

記事一覧へ

公開日: 2017/06/08

高校卒業直後の18歳のとき、大阪の西成に半年間だけ住んでいた。南海の萩ノ茶屋駅から徒歩3分。いわゆる釜ヶ崎という地域のど真ん中に当時住んでいたマンションはあり、朝起きてカーテンを開けると、そこには多くの路上生活をしている方々が、どこから拾ってきたのかわからない品物の数々をブルーシートの上に並べて売っている光景が広がっていた。

 

日が昇ると同時に動きだし、ひとつモノが売れればカップ酒を買い、もうひとつモノが売れればホルモンをつまむ。そんなオッサンたちは僕が見ていた限りはとても楽しそうで、毎日が飲み会。ホームレス生活も悪くないなと、若いながらに思ったものだった。

 

それから約10年が経った29歳のときに移り住んだのは、足立区の某地域。山手線の駅まで出るためにモノレール(厳密にいうとモノレールではなく新交通システム)によく乗っていたのだけど、そのモノレールが荒川の河川敷を通過するときに見える、これまたホームレスの方の生活拠点があった。

 

背丈よりも長く伸びた草をしっかりと刈り込んでスペースをつくり、そこに建てられた十分すぎるほどの大きさの家。その前には鎖につながれた犬と自転車が止められていて、電気と風呂がないこと以外は欠点が見当らない生活。いや、荒川で水浴びをし、荒川で魚を釣ることができるとなると、それは僕にとって欠点の見当らない、まさに自由の象徴ともいえる生活スタイルで、河川敷を通過するたびにその家を眺めては、僕とあのオッサン。本当の意味で恵まれているのはどっちなんだろうかと、そんなことを考えたものだった。

 

雑誌に顔を出したり、たまにCSのテレビなんかに出てはいたが、そもそもは愛媛の田舎もんである。文字でいくら偉そうなことを書こうとも、もともと仕事なんてものをしたくないからパチスロ雑誌に入ったわけで、クズは死ななきゃ治らない。クズが薄皮一枚を覆って、なんとか取り繕っているだけなのだから、そのうち破たんするに決まっている。そうなったら、僕もあの河川敷のオッサンのように自由な我が家を作ろう。西成のオッサンのように自由な生活を送ろう。これが僕のモチベーションであり、密かに抱いている夢でもある。

 

僕にとってギャンブルは、究極を言えば負けるために存在する。ギャンブルでの負けが、僕を自由へと導いてくれる、まっすぐに伸びた一本の道。今日の勝ちは、明日の負けをより味わい深いものにする、上質なスパイス。だから僕は、今日の勝ちを全力で目指す。

 

頑張れば、勝てる。ぱちんこ、パチスロは頑張りしだいでトータル的には勝てるし、そもそもギャンブルではなく遊技だ。遊技として僕はパチスロが好きだし、雑誌を読んだりテレビを観たりする人たちが勝てればいいと心から思う。僕にできるなら、その一助となりたいとも思うが、遊技ではなくことギャンブルという面で見ると、頑張れば勝ててしまうパチスロは、やや物足りない。

 

最終的に、僕は人生にギャンブルを見出した。それなりの収入があったスロライターではなく、NPO。安心できる日本での生活ではなく、先の見えないフィリピンでの生活。ここにギャンブル性を見出して生きているし、なにをもって勝ちとするかはわからないが、フィリピンでもNPOでも、勝ちたいと思っている。

 

そして勝って勝って勝って得たチップを最後にオールインして、河川敷に住みたい。そのために今日も、チップを1枚、ただ積み重ねる。

ライター・タレントランキング

このページのトップへ