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元クズ田中

ホーチミンの思い出

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公開日: 2017/12/02

行ってもたぶん面白くないしなあ。あの街はきっとあそこと似ているだろうから、だったら行かなくていいよなあ。なにかと逃げの言い訳をつけて、新たな地へ旅に出るのを避けるようになっていた。

 

新しいところに飛び込むのは、リスクを伴うし体力もつかう。もしかしたら設定6があるかもしれない新規のホールをゼロから掘るよりも、設定5があることがわかっている馴染のホールに足が向かうものだ。だからいままでのようにセブからダイレクトに日本へ戻るのではなく、ベトナム、カンボジアを経て日本に戻ることになったとき、正直に言って憂鬱だった。わざわざそんなところに行かなくても。逃げの言い訳を考え始めていた。

 

旅の一番の目的は、カンボジアのシアヌークビルという海に面した小さな町で日本食屋を始めた、新宿ゴールデン街で出会った友人に会いに行くことだった。

 

僕はまだ、この人がゴールデン街で「いつかはカンボジアで店をやりたい」と言っていたとき、絶対に行かないだろうなと思っていた。飲んで夢を語る人間は、結局、一歩を踏み出さない。この人は10年後も15年後もここで、いつかはカンボジアでと言う人なんだと思っていたから、実際にカンボジアで店をオープンさせたと聞いたとき、疑って申し訳なかった気持ちと嬉しさと、両方の気持ちが込み上げてきた。

 

そんな旅の模様はまた、改めてどこかで旅行記として書ければと思うが、シアヌークビルへ行くために経由したホーチミン。およそ7年ぶりに訪れたこの地は、僕にとって転機となった場所だった。

 

あれはたしか、2010年の9月か10月だったと思う。いつものメンバーで年に数回行く東南アジアの旅の計画を練っていたら、その場にいた塾長おじさんが、オレも行こうかなと乗り出してきた。おじさんのイメージといえばハワイであり、ごみごみした東南アジアに行くなんてと驚いたが、あれよあれよと話は進み、3泊4日のパックツアーに申し込むことになった。

 

そのとき、僕は悩んでいた。パチスロライターをこのまま続けていいものか。才能のない自分のような人間が、己の保身のためだけに業界にしがみついていていいものか。言ってしまえば自意識過剰なのだろうけど、僕の人生を決められるのは僕だけだ。誰にも言わずにひとりで悩んでいたのだけど、3泊もおじさんと一緒にいる機会なんてなかなかないわけで、二日目の晩だったか、相談したわけだ。

 

もうちょっと頑張ってみろよ。そんな答えが返ってくるのかなと思っていたら、おじさんは思いのほかあっさりと、こう言った。

 

田中、ヤメるのもいいんじゃないか。お前にはお前に会った道があると思う。本当にやりたいことがあるなら、そっちに進むのもいいんじゃないか。

 

この業界に僕を導いてくれたのは、おじさんだった。そのおじさんがヤメるのもいいんじゃないかと言ってくれたことでラクになり、僕は帰国してその週か、その次の週だったかは忘れてしまったが、とにかく1ヶ月も経たないうちにガイド編集部に辞めたいということを告げたのだった。

 

薄暗いホーチミンのマッサージ屋でそんなことを思い出しながらまどろんでいたら、女が耳元でささやいてきた。お兄さん、あと100万ドン払えるか?

 

一歩を踏み出すのか、そのままステイするのかを決めるのは自分自身。だけど、たとえそれが失敗であろうとも、僕はできる限り未知の世界に一歩を踏み出したいと、そう思って、黙って首を縦に振った。

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