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元クズ田中

ボロい長屋の2階から

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公開日: 2018/03/09

僕が東京に出てくるときに思い描いたのは、大都会でスタイリッシュに暮らすシティボーイのような生活ではなく、夕暮れ前の時間にボロい長屋の2階から、路地に水を撒く女学生を見下ろすような、そんな昭和の下宿生のような生活だった。清貧を絵に書いたような生活に憧れたのは、きっと僕が特に苦労もない中流ど真ん中の家庭に生まれ育ったからで、こういう言い方をすると鼻につく方もいらっしゃるかもしれないが、素直な気持ちをいうならば、僕はある種、テレビなんかで観た貧しい生活に対して、楽しそうだなと思っていたんだと思う。

 

芸人で成功するやつは家庭が貧乏で根暗なやつだ。売れている人のそんな言葉を真に受け、それこそが正解だと頭に擦り込んだあの時間があったからか。とある時期を大阪のドヤ街で過ごし、その日暮らしのなかにあってもいつも笑顔でいたおっちゃん達と接していたからか。はたまた、けして裕福ではないけれど親戚みんなで毎週、集まって楽しそうに飲み会をする両親の姿を見ていたからか。そういったものが何重にも合わさって、お金に執着のない自分という人間が徐々に形成されたのだろう。

 

ただ、そういったお金に関する部分は、特にこの十数年に関していうと、僕がひとりを前提として物事を考えていたからというのは多分にある。誰に迷惑をかけるでもなし、自分ひとりくらい最悪、どうにでもなるだろう。そう思うからこそ有り金の大半を金が入ったその日のうちに7.6枚交換のハナビで溶かし、ガリガリになりながら1ヶ月を3000円で生活したし、将来の人生設計なんてまったく考えていなかったからこそガイドスタッフなどという、あってないような、虚像のような仕事にも就いた。自分の甲斐性のなさが自分に跳ね返ってくるだけ。それを受け入れる代わりに、自由に生きよう。カッコよく言うならば、それが僕のポリシーだったのだけど、先にも言ったように、僕のポリシーはひとりで生きることを前提に成立しているものだった。

 

どこかに書いたか、それとも僕が勝手に頭で思っていただけかわからないが、2018年を迎えるにあたって、僕はフィリピン人女性に対する心の扉をオープンにした。フィリピンに住んで7年目。僕にとってずっとフィリピン人は恋愛対象の枠の外であり、自分のなかでそれをある種、決めてかかっていたのだけど、その固定観念を捨てようと決めた。そして、とあるフィリピン人女性とほんの少し距離を縮めていくなかで、たとえばその子の友人や兄弟を交えてメシを食ったり、あの化粧品がほしいと言われて買ってあげたりするうち、不意に恐怖を覚えた。もしもこの子と付き合ったり、万が一、結婚するなんてことになったとして、そんなもの、いまの僕の生活スタイルで、意識で、成立するわけがない。そういう人生を選択するのであれば、僕は自分のポリシーをきっぱり捨てる必要がある。

 

そう感じたその日から自分に急ブレーキをかけ、開けていた心の扉を、何事もなかったかのようにそっと閉めようとしている自分がいる。恐らく、可能性があるのだとしたら主夫。がむしゃらに頑張る女性起業家の嫁を家庭で支えながら自分のやりたいことをゆるりとやるのが僕に合った道だとは思うし、現実的になくはない選択肢だと思うが、今日は大学生に、明日は未来ある高校生に、人生のきっかけとなるようなお話をしなければいけないのも、いまの僕の役目だったりするわけで。そんな学生諸君が、このコラムを読んでいないことを心から願います。……いや、むしろ、積極的にそんな話をしてやろうかなと思います。クズなんて、そんなもんだってば。

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