大嫌い。大好き。
記事一覧へ公開日: 2018/07/05
嫌いというのは、とても大きな強い感情だ。好きなことに対して起こすアクションというのはカワイイものだが、嫌いに対するアクションというのはある種、本能的で、だからこそ大きなパワーを生み出す。そして、普通はいつまでたっても普通のままでしかないが、大嫌いという感情は、きっかけひとつで大好きに変換される可能性を秘めている。
昔、アリストクラートから出た『マッハGOGOGO』という台をメーカーで試打したときに、正直、なんてクソ台だと思った。当時にしては瞬発力のない規定ゲーム数消化のRTゲーム数振り分け。カップの押し順がナビされるGTにもなかなか入らず、入ってもカップ3連時の2分の1でボーナスという、ハードルが多い割に見返りの少ない仕様。そう言った要素に加えて僕がアニメのマッハ世代ではないこともあって、ホールに導入されても打つことはないだろうと、巨人の星の二番煎じでしかないと思っていたのだけど、若手スロライターの主な仕事は実戦であり、ただでさえ少ない仕事を断る選択肢などない。月の予定表に三日間連続で編集部でのマッハ実戦が入れられているのを確認したときは、感情をオフにして、ただマシンのように7000G×三日間を消化してしまおうと思っていた。
初日は決めた通り感情を殺して黙々と打っていた。ときおり発生する意味のよくわからない演出もすべてスルーしていたが、二日目あたりにたいして意味のないと思っていた演出が、取りこぼしてはいるが内部的なカップの成立に絡んでいること、さらに逆押しをすると成立役をある程度、絞り込めることも判明。そして、たいして意味なんてなかったはずの演出が、逆押しをすることで停止出目と絶妙に絡むことがわかり、三日目からはマッハの虜になり、編集部での実戦が終わってからも、プライベートでマッハを打ち倒すようになった。
もちろん、打っていくなかでの習熟度によってその面白さが徐々にわかってきたという面はあるが、僕がここまでマッハの虜になったのは、スタート地点が大幅なマイナスからだった影響が大いにあると思っている。たとえ行きついた先が同じであっても、普通からよりも、大嫌いからのほうが心のふり幅は圧倒的に大きい。ふり幅が大きい分、脳は後者のほうがより面白いと思い込むのではないか。
人間の好き嫌いというのは思い込みが大きく支配していると思う。僕が唯一、嫌いな食べ物であるパクチーは、小学生のときに僕がエロ本を隠していた草むらの草と同じニオイがする。ニオイを嗅ぐとドキドキしながら、濡れて乾いてを繰り返しカピカピになったエロ本を読んでいたあの感覚を思い出すから食べられないんじゃないかと思っているが、大嫌いだからこそ、僕はいつの日か、パクチーを大好きなるかもしれないと、そんな期待はずっと抱いている。
飛行機も嫌いだった。いまでも怖いからできるだけ乗りたくないと思ってはいるが、嫌いがゆえに、怖いがゆえに調べていくうちに飛行機に興味が湧くようになり、いまではこうやって、世界中の飛行機がいまどこを飛んでいるのかを眺めるのが好きになった。
大嫌いだからこそ、いつかパクチーを大好きになる日がくると確信しているが、これを読んでいる方にとっても嫌いなものって周りにいくつかあると思う。だけど、それこそがチャンス。嫌いなものは、きっかけさえあれば自分が好きになれる可能性の高いもの。そう認識していれば、人生、意外とストレスを感じないし、ラクに生きられるはず。そう思って〆切日に慌ててこのコラムを書いているが、〆切という言葉だけは、いつになっても好きになれる自信はない。
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