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元クズ田中

沖ヒカルの壱

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公開日: 2018/10/18

先月に日本へ戻った際にDMMの会社へ行って簡単な打ち合わせをしたのだけど、担当の方がそれ終わりでアロマティックトークの収録へ行くというので、せっかくだから先輩方に挨拶をさせてもらおうと、無理を言って同行させてもらった。

 

木村さんは年に何度もお会いするし、御手洗(グレート巨砲)さんもちょこちょこ飲みの場で顔を合わせるのだけど、沖ヒカルさんとは恐らく2年ぶり。2年くらい前にサイトセブンの『おもスロい人々』という番組に呼んでいただいてお会いしたっきりで、さらに言うとその前は覚えてないくらい、たぶん7~8年は会っていなかったんじゃないかと思う。

 

同じ雑誌でライターをしていても、まったく顔を合わせる機会のない方が何人かいて、僕にとって沖さんがその筆頭なんじゃないかと思うのだけど、2つだけ、沖さんとの思い出というか、覚えているやり取りがある。

 

ひとつめは、まだ僕がパチスロ必勝ガイドに入る前の話。2001年の12月に島一括抽選で話題となったアリストクラートの『ダブルフェイス2』という台が新台として導入された。ゲーム数とかチャンス役ではなく、20分ごとにATの抽選が行われるので、同じタイミングで電源を入れていれば、一斉に台がピカピカ光って抽選が始まると。下手すりゃ誰も打っていなかった空き台がATに当選して慌てて台移動……みたいなこともあったのだけど、機種の話は置いといて。

 

 

そのころすでに知り合いだった塾長が、年末にみんなで神田のクリエ(新台の取りやすさが評判で各雑誌、よくここでデータ取りをしていた。いまはない)でデータ取りやるから遊びにおいでよ、と言うので同行してデータを取ったら、年始に、帰省先の松山から東京まで寝台特急『サンライズ瀬戸』で戻っている際に、当時まだ編集だった沖さんからメールがあった。

 

勝ちデータが少ないので、田中くんの取ったデータ、雑誌に載せてもいい?

 

そんな簡単なやり取りだったが、自分の取ったデータが誌面に載ると、しかも副編集長から直接、連絡がきたと、寝台特急の狭い個室で喜んだのを覚えている。

 

もうひとつは、僕が28歳のころ。夜にいきなり沖さんから電話があり、「田中くんって、書き好き?」と聞かれたので、原稿仕事を振ってくれるのだろうと、好きですと答えた。そうしたら、家近いよねと(当時は足立区で、車で10分以内の距離に住んでいた)、取りにきてというので、取りに行くってなんだろうと、メールかFAXでやり取りすればいいのにと思いつつ沖さんのマンションまで行ったら、大量の牡蠣を渡されたと。「書き」ならぬ「牡蠣」だったというお話なのだけど、この18年間でそのふたつしか思い出がない、そんな関係性なわけだ。

 

正直にいうと、僕は沖さんのキライなタイプだろうと自覚していた。実際の僕は根暗で静かな人間なのだけど、当時やっていたパニック7の携帯サイトに書いていた日記はいつも泥酔状態で、アツい話やお酒の話ばかり書いていたので、沖さんはそういうタイプの人間はキライだろうなと思っていた。

 

でも、実は沖さんが僕をキライ……というか、ネガティブに思っていた理由は、そこではなく別にあった。なぜ沖さんが『田中くんはちょっと……』と思っていたのか。その理由は、来月あたりに公開されるであろう『アロマティックトーク』をご覧ください。

 

 

ちょっとご挨拶をのつもりが、番組に出させていただき、三人の先輩方とがっつり長時間、お話しさせていただきました。僕はこの番組を観たことがなく趣旨もわからず出たのですが、久しぶりに地獄のようにスベりました。

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