7周年を迎えて
記事一覧へ公開日: 2019/02/14
僕は、たとえば彼女の誕生日に婚姻届けを提出するようなロマンチストではない。あまり日付だとか記念日に執着はないので、たまたま書類を提出して受理されたのがバレンタインだっただけのことなのだけど、本日2月14日をもってセブンスピリットは丸7年。明日から8年目に突入することになる。
僕ががっちりライターをやっていたのは21歳から30歳までの9年間なので、もう少ししたらNPO時代がそれを上回ることになるが、人間関係に思い悩んで一度。金銭的な事情でいえば複数回、活動をヤメざるを得ないと覚悟した瞬間もあるので、無事に7周年を迎えることができたというのは、喜ばしいことでもある。
慶徳康雄というオジさんがいた。いた、という過去形からもわかるように去年に亡くなったと風の噂で聞いたのだけど、あくまで噂でしか聞いていないので実感はない。そのオジさんは僕がガイドに出入りしていた当時のパニック7の編集長で、パニックの編集部員からはボス、ボスと慕われていた。
接点は9年間で、ほとんどなかったと思う。たまにしか行かないパニック7の編集部で、これまた、たまにあいさつをする程度。仕事の話なんて一度もしたことはなかったが、僕が2011年の1月からフィリピンに移り住むということで、ライター業を完全にヤメようとご挨拶に伺ったら、オジさんはこう言った。
なあ、田中くん。パチスロを打ってパチスロの原稿を書くライターは、うちにはたくさんいるんだ。もちろんパチスロ雑誌だからまったく関係のないことばかりを書くのは難しいかもしれないが、フィリピンに住むキミにしか書けない文章が、オレにはあると思うぞ。
ありがたい言葉だった。
よろしくお願いします。そう言おうとしたら、慶徳さんはそれよりも早く頭を下げながら、こう言った。
これからも引き続き、うちで文章を書いてください。よろしくお願いします。
カッコいいと思った。
※マッスル峠もオススメのパニック7ゴールド‼ 気になる発売日は……すみません、わかりません
結果的に僕は、この原稿料によって救われる。恥ずかしい話だが支援獲得の見通しが甘く、金銭的に活動が立ちいかなくなりそうになったとき、パニックから振り込まれてくる原稿料で、何度も急場をしのいだ。もちろんパチスロ必勝ガイドもそうだが、このお金がなければ、恐らくセブンスピリットは潰れていただろう。
慶徳のオジさんが亡くなったのは、2018年の3月4日だという。もうすぐ1年。3月に帰国した際には、おかげさまで無事に7周年を迎えましたと、墓前で手を合わせたいと思う。
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