プロ。
記事一覧へ公開日: 2019/11/08
この演奏会にくるために、お客さんは最低でも3000円の支援をしてくれているんでしょ? 僕たちの演奏を聴くために3000円もだしてくれたんだから、僕はお客さんが喜んでくれるよう、ベストを尽くして演奏をするよ。
そうつぶやいた子どもの顔は、明らかに憔悴していた。
キツかったはずだ。7泊8日の日本ツアーも終盤の6日目。フィリピンから日本へきて、関東でのハードなスケジュールをこなしたあと、さらに東京から大阪へバスで長距離移動をした翌日ということもあって、子どもたちのコンディションは最悪だった。
ステージ裏の控室では多くの子どもがぐったりとした表情を浮かべ、そこかしこから嗚咽がきこえてくる。開演まで、あと30分。すでにお客さんが会場へと入り始めていた。
もともとは2012年に、路上で物売りや物乞いをしている子どもたちに声をかけたのが始まりだった。路上にいるくらいなら、音楽でもやろうぜ。そんな、ノリと勢いだけで始めたような活動が気がつけば8年も続き、56名のフィリピン人を引き連れて日本へやってくるなんて、思いもしなかった。
開演のブザーが鳴って、子どもたちがステージ上に入場してきたが、表情は冴えないままだった。ハードな日程を組んだのは、僕の責任だ。もう少し余裕のあるスケジュールだったなら、彼らを万全の状態でステージに上げてやれたかもしれない。申し訳ない気持ちと、無事に最後までやりきってほしい気持ちとが湧きあがってきた。
舞台袖から指揮者が姿をあらわし、子どもたちが、練習してきた日本語で曲紹介をする。そして、指揮者の手がパッと上がった瞬間。それまでぐったりとしていた表情が、一気に変わった。それはまさに、音楽家の顔だった。
あのとき路上で声をかけた物売りの鼻たれ小僧は、いまや立派な音楽家になっていた。
プロとはなんだろうか。プロフェッショナルスロッターを自負しながら下見が面倒だとサボっていた僕はプロだっただろうか? プロのライターでありながら今日も〆切を1日オーバーしている僕はプロなのだろうか?
お金を払ってくれた人のために、ベストを尽くすんだ。そんな彼にプロの姿を見た。
演奏会が終わって、聞いてみた。最後の曲を歌いながら泣いてたのは、なんでだ?
照れてはぐらかされるかと思ったら、僕の顔を正面から見ながらこう言った。
日本公演が終わって自分自身が感動したのもあったけど、前回、メンバーに選ばれながらも日本にくることができなかった僕のお姉ちゃん。彼女がこのステージに立っていることが、なによりも嬉しかったんだ。
かつての鼻たれ小僧は、音楽家であり、また、優しい男の子でもあった。
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