プライド
記事一覧へ公開日: 2019/12/13
中学校のマラソン大会で7位に入ったことがある。約150人走っての7位なので、まずまずの順位だとは思うが、ゴールテープを切ってその場に倒れこむ同級生を尻目に、僕は肩で息をする程度。本当は、あと5キロだって走れるくらいの余力が残っていた。
僕の前を走る6位の彼は、学年で一番、運動神経がいいと言われている生徒だった。僕のような平凡な人間が、スポーツ万能の彼を抜かしてしまっていいのだろうか。ゴールまで2~3キロの地点で彼の背中をとらえたとき、そんなことが頭をよぎって、意図的に走るスピードをゆるめた。
これまでの人生で、全部出し切ったと、もう一切の力が残っていないと言えるほど、なにかをやり遂げたことがあっただろうか。思い返してもパッと浮かばないのだから、やっぱりないのだと思う。
※こうやってゴール後に倒れこむ人を見るたびに、出し切れない僕は羨ましい気持ちになる
思えばいつだって、余力を残していた。パチスロの立ち回りだって、原稿だって、人間関係だって。全力じゃないんだもんという言い訳をいつだって先に用意し、それでもそこそこの結果をだすことで己を守っていた。
なぜ6位の彼を抜けなかったのだろうかと、いまでも考える夜がある。空気を読んだといえばいかにも日本人的だが、これはひとえに、自分の弱さなのだと思う。
彼が、僕なんかに抜かれたことでショックを受けたらどうしよう。彼を応援している女生徒が悲しんだらどうしよう。抜いた僕が嫌われやしないだろうか。ハードルを上げてしまうことで、次からも同じような成績を求められるんじゃないか。
こういう思いや性格は僕がいま、パチスロ業界という競争社会から逃げ出し、ライバルという概念の薄いNPO法人で活動をしていることにつながっているわけだが、同時に、なにをやっても突き抜けることができない、自分の弱さでもあると思うのだ。
もしも恥や外聞を捨ててがむしゃらにやっていたなら、パチスロライターとして、もっと大成できていただろう。もしも力を余すことなく全力でやっていたなら、セブンスピリットはもっと大きな団体になっていただろう。
※もしも僕ががむしゃらだったなら、諸ゲンの横には(ほぼ)同期の大竹くんではなく僕がいたのだろうか。いや、ないな……
先日、やらなくてもまったく問題ない、誰の目にも見えない地道な下準備をこつこつとやる、すでに成功をおさめている人に、それをやる原動力はなにかと訊ねたら、私にもプライドがありますからという答えが返ってきた。そのときに、思った。ああ、僕、プライドなんてないや、と。
プライドってなんだろう。僕だって本当はマラソン大会で良い成績をとりたくて、ひそかに練習だってしていたんだ。良いところを見せたい気持ちだってあったんだ。
プライドって、なんだろう。そんなことを考えながらも、僕は6位の彼を抜けなかった事実を、ライターとしてがむしゃらになれなかった事実を後悔してはいないので、きっとこれからも、そんなふうに生きていくんだと思う。それで、良いのだと思っている。
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