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パチンコ・パチスロ特集

第九回「みらいの輪」~パチンコ店経営者に突撃インタビュー~東洋商事株式会社

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みらいの輪とは

昔のように勝てない!面白くない!
レジャーの多様化とともにパチンコ・パチスロ離れもめまぐるしい。
とかく、依存問題や子供の放置事件などマイナスのイメージを植え付けられているパチンコ業界。
半世紀以上続き就労人口も20万人超という規模だが、世間の風当たりは強い。
様々な要因で店舗数もどんどん減少しており、逆風の只中にいる。
そんな苦境だらけの時代に突き進むパチンコホール経営者の生きざま、考え方について深堀していく。

更新日: 2023/08/18

第九回 東洋商事株式会社

 

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大衆娯楽のパチンコ業界。その文化を未来へ紡ぐため、2020年10月に2つの業界団体が合併し成立したMIRAI(一般社団法人MIRAIパチンコ産業連盟)。

 

 

本企画はそのMIRAIで活躍する各企業のキーマンにフォーカス。パチンコホールの経営者の生い立ちや普段聞けない生の声を独占インタビューする。


長谷川康 垣代表取締役社長

東洋商事株式会社

1983年生まれ 40  歳 

 

  

パチンコ業界の経営者に話を聞く「みらいの輪」。

第九回は広島県にホールや保育園、宿泊施設を運営し、幅広い事業展開をしている東洋商事株式会社の長谷川社長にインタビュー。

同社は1974年に創業し、2015年にはプロバスケットボール「広島ドラゴンフライズ」のスポンサー契約を開始。

2018年には宿泊施設、2019年には保育園も開園するなど新規事業にも積極的に力を注ぐなど柔軟さをみせる。

一方でコロナ禍での休業でも従業員のリストラや給与カットを行わず、盤石な財務基盤という手堅さも持ち合わせている攻守のバランスに長けた企業だ。

継ぐ気は無かったパチンコ店を継ぐ意外なきっかけ

DMM:本日はお忙しいところお時間いただきましてありがとうございます。よろしくお願い致します。

長谷川社長:こちらこそよろしくお願いします。

DMM:まず、長谷川 康垣社長の子供の時はどのような環境だったのですか?

長谷川社長:子供の頃は運動が好きで、サッカーやスキー・スノーボードなどのウインタースポーツを積極的に取り組んでいました。今は感謝していますが、父が躾に厳しい人でした。そのため、自分で言うのもおこがましいのですが、相当まじめで素直な子供だったと思います。その影響で大学は自由になりたくて神奈川の大学に進学しましたが、在学中に父が体調を崩してしまった為に介護をしながら学生生活を送りました。

DMM:では、卒業後すぐに後を継がれたのですか?

長谷川社長:いえ、父の仕事を継ぐ気は無かったので、内定をもらった広島県の信用金庫に就職しました。その時は、父の会社と取引がないにもかかわらず、一番最初に内定を頂いたことが何よりうれしかったですね。そのまま信用金庫で働いていたのですが、4年目のある時、父の会社である東洋商事の決算書を見る機会がありまして、内容を確認したところ業績があまり芳しくない状況でした。当時の従業員が社員・アルバイトを含め70~80人在籍。そのご家族のことも考えると長男である自分が悠長に他社で会社員をしていていいのかなと考えてしまいましたね。そして「戻りましょうか?」と父に話し、2009年に東洋商事に入社することになりました。その後、2012年の29歳の時に突然「明日から社長をやれ」と父から言われ、急遽代表になりました。父が代表取締役会長で、私が代表取締役社長のダブル代表という形ですが。私が社長になってから父は「何も言わん」と言ったのですが、実際はそのようなわけもなく(笑)その後も父とは経営に関する意見の対立でバチバチとやりましたね。

DMM:若い時に代表になられたのですね。お父様とバチバチ意見の対立されたのはどのような時が多かったのですか?

長谷川社長:当時の私の考えが子供で幼かったために、従来通りのやり方を真っ向から否定していたのです。業績が良くないイコール今の営業方法や価値観、考え方やそれを踏襲する従業員、全てひっくるめて「悪い」から業績も悪くなる、と決めつけて接していたのです。それが当時の私の幼さだったと思います。もっとチームの事とか従業員の事を配慮しながら接すれば良いのですが、真正面から否定してしまっていたので、当時の父も幹部社員も面白くなかったと思います。今思えば申し訳なかったと思いますが、当時は想いが至らなかったと感じています。

DMM:そうなのですね。代替わりされると経営方針も変わるので少なからず摩擦はあると思いますが、やはり苦労されたのですね。

長谷川社長:そうですね。やはり考え方の違いがありますので合う、合わないはあると思います。その方たちとも新しく発展成長できれば良かったのですが、結果として私の力不足で去られる方もいました。

DMM:入社されてプレッシャーや大変だなと感じられたとお察ししますが、特に印象的な事はありましたか?

長谷川社長:結構ありますが、やはり社長の息子が入ってきたというところですね。父の時代は、イケイケでトップダウン型の経営で良かったのですが、時代も変わりそこを変えないといけないなと考えたのですが、壁がありましたね。今は、当時を知る社員とお酒を呑んで昔話をすると「あの時社長は空回りしているように見えました」と笑い話をされますね。そこで共感してくれたのか、サポートしてくれている部分もあると思いますし、本当にありがたいなと思います。今までそれで成績が残せていたという考え方、マインドチェンジすることが一番しんどいですが、そこはどんなに嫌われてもやらないといけないことだと思います。

DMM:今まで順調にできたという成功体験や、今やっていることにしがみつきたくなる気持ちもわかりますね。なかなか人が変わるというのはすぐにできない人の方が多いと思います。

長谷川社長:そうですね、当時に限らず、今の時代でも同様の事はありますね。それは仕方ないことだと思います。

DMM:長谷川社長の変革をサポートしてくれたメンバーは今も活躍されているのですか?

長谷川社長:今の幹部は全員私より若い人ですね。当時アルバイトだった人や私が抜擢して社員になってくれた人達です。その人たちを育てていった結果「雑草魂」で頑張ってくれています。

DMM:なるほど、そこから14年間一緒に苦楽を共にされるとベクトルというか視座も一緒になりそうですね。

長谷川社長:そうだと思っています。もちろん、人間ですのでそれぞれ性格も違いますし、そこを踏まえて視座はしっかり合わせるように努力はしています。

DMM:そこが揃わないと強い組織は作れないですね。社長になられる前にも色々大変そうでしたが、社長になられてからの苦労や印象に残るエピソードについてもお聞かせください。

勢いだけで理念のない企業の根本を変革。

長谷川社長:私が社長になり、新たに組織を作っていこうとする中で当時の会社に「理念」が無く、真っ先に「理念」を作ったことですね。同時に業績も芳しくなかったので、業績と銀行との取引をどのように回復させるかに努力しました。理念を作る際、6,7人でプロジェクトチームを結成し、キックオフでハードなカリキュラムの合宿に行ったのですが、期待していたメンバーが精神的に追い詰められて途中で帰ってしまいました。その時に人と向き合うことの難しさを痛感させられました。そのメンバーが抜けた時、私も非常に落ち込んでしまったのですが、当時古参だった部長から温かい言葉をかけられてとても救われました。まだまだあきらめちゃいけないなと、その言葉が無ければプロジェクト自体もうまくいかなかったかもしれないですね。そして、進めていたプロジェクト自体も「お前のやろうとしている事は大企業のやろうとしていることだ!」と父から大反対されていただけに、その部長の対応には本当に助けられました。それから理念も決まり、軸が定まると不思議に業績も回復しました。社員の参画意識であったり、業績に責任を持てる当事者意識が芽生えたりと社内も変わっていきました。対外的にも変化があり、8年前に3店舗のうち1店舗を売却して財務調整をすることによって、金融機関との関係性も劇的に変わることができました。

DMM:店舗の売却となると、大きな決断ですね。

長谷川社長:大きな決断でした。売却となるとマイナスイメージになりそうですが、社員は残り2店舗に移ってもらっても収支が回る試算の上での売却でした。

DMM:なるほど。一般論だと店舗売却は従業員のリストラや事業縮小=収益率の低下などマイナスに取られがちに感じますが、リストラもせず企業のスリムアップという形で財務の改善が劇的に向上したのですね。

長谷川社長:はい。それがきっかけで正常債権になり、私が信用金庫で培った経験や先輩経営者からのアドバイスを実践して、今では非常に良い条件でお取引させて頂いています。

DMM:やはりそれは長谷川社長が、信用金庫に勤務された経験ならではということですか?

長谷川社長:それもあると思いますが、同業異業の先輩社長との出会いを頂いて経験談を学ばせて頂き、金融機関の喜ぶ付き合い方を知っている事だと思います。経営計画書を人任せにせず自分で作成して提出したり、業績報告の資料を送付したりと金融機関との接触回数も増やしています。

受け継いだ会社をピカピカに磨き上げる使命

DMM:今でも学ばれる姿勢は素晴らしいことだと思います。ところで業績報告といえば、最近は異業態の経営もされていますが、事業展開のビジョンにも変化が現れたのですか?

長谷川社長:そうですね。パチンコ業界があっての東洋商事なのですが、パチンコ業界のイメージを東洋商事1社が変えることは難しい。けれども、東洋商事1社のイメージは我々がいくらでもプラスに変えることができると社員に伝えています。元々は父の跡を継ぐことは考えておらずに飛び込みましたが、入社するときには覚悟を決めていました。そして、足を踏み入れた以上、この業界をこの会社をより良くしていきたいなと。父から譲り受けた会社をピカピカに磨きこむことが大事だと考えています。ただ、なかなか世の中に認められにくい業態で、祖父や父が活躍してくれたことをいかに世の中で認めてもらえるようにできるか考えてきました。その過程で業界のイメージを直接変えられなくても、東洋商事のイメージをプラスにするための先々のビジョンを考え、その中での答えの一つが保育事業や宿泊事業であると考えています。

DMM:異業種を展開するにあたり、具体的なきっかけはありましたか?

長谷川社長:宿泊事業のきっかけは、本社を兼ねた私の実家があったのですが、父が亡くなり住まいとしては誰も使わないので本社の移転もかねて不動産の売却を考えていました。その時に運営しているホール店舗の近くにマンションの1棟売り物件があったので、タイミングが合って購入しました。元の本社兼実家も売却が決まり、本社機能を購入した物件に移しました。3階から7階はリフォーム業者に見てもらって、リノベーションすれば使えるとのことでしたので、インバウンド需要にこたえられるように宿泊施設にしました。宿泊施設にした理由のひとつは、躾を厳しくされたおかげで、「ホテルマンできそうだよね」、と知人に言われた事や、訪日外国人需要も伸びていたこと、平和公園も近い立地が良いと思い始めたことがきっかけです。そして、取引先の金融機関の担当の方が、宿泊施設の運営や清掃代行をしている会社があるとご紹介頂きました。その企業にマーケティングしてもらい、25部屋を15部屋にして1部屋の面積を広げて4~5人が1部屋で宿泊できるようにしました。これならツインの部屋を2部屋借りて一家族が二部屋泊まる必要もないことと、運営代行により今まで宿泊業のノウハウのない私たちでも営業できるということですね。キッチンもあり、洗濯もできるので民泊以上ホテル未満のような宿泊施設ができるビジョンが見えて、心が躍りました。

DMM:それが宿泊施設のORIGAMINN(オリガミン)ですか?

 

ORIGAMINNの洋室。公式サイトより

長谷川社長:そうです。「折り紙」と宿の「INN」の造語です。そして1階のテナントをどうしようかと考えあぐねていた時に、事務の女性が保育園不足の話をしていたのです。その話を聞いたときに、自社の課題である人手不足とマッチしました。採用強化をするために自社で保育園を運営し、お父さんもお母さんも働きやすい環境を作ってあげれば良いと思ったのです。当時働いていた社員も結婚を考える人も増えてきたので、自分の職場で子供を預けながら働けたら働きやすいだろうなと思い、コンサルタントにサポートしてもらいながら保育事業をはじめることになりました。ホテルをオープンした翌春に保育園も開業して、現在、保育園は2園運営しています。

DMM:では、保育事業は元々収益性を求めるビジネスというよりは、社員の福利厚生・働きやすさから生まれた事業だったわけですね。

長谷川社長:そうなりますね。ただ、赤字で経営するわけにはいきませんので、バランスを取りながら運営しています。お子さんを預ける従業員の保育料を抑えているので、従業員も支出が減れば実質所得アップになりますし、安心して働ければ離職も防げると考えています。

DMM:では現在預かっているお子さんも、社員やアルバイトスタッフのお子さんは多いのですか?

長谷川社長:そうです、今お預かりしているお子さんの半数がスタッフのお子さんです。パチンコだけではなく保育士のお子さんもいます。以前は私の子供も通っておりました。

DMM:会社で保育園を運営すると子育てへの理解があると感じられますし、働きやすさに繋がりますね。

長谷川社長:そう感じてもらっていると思います。今は地域のお子さんも預かっていますが、今後は同業他社のスタッフのお子さんも預かって、業界が盛り上がるならそれもひとつのお役立ちになるとも考えています。

DMM:今は共働き世帯が多いですし、私の家庭もそうですが子供を保育園に預けられるのは親としてもありがたいですね。また、今年から成功報酬型の「採用支援事業」にも着手するなど新事業への取り組みも積極的ですが、こちらの進捗についても教えて下さい。

長谷川社長:こちらは始めて間もない事業です。3年前から弊社で新卒採用を始めまして、第三者目線で見られるとパチンコ業界という業種で人を集めるのが厳しいだろうと言われていた中で、結果的に一昨年、昨年、今年と3期連続で新卒採用もできました。学生の集まる合同企業説明会が開かれた際でも、弊社が学生の集客数が1番になりました。対応した社員のパーソナリティが大きいのですが、それも会社としての強みにできるかもしれないと感じました。その状況を見て、新卒の社員がこの会社の強みを事業化できるのではないかと私に進言してくれて、それなら収益を調査してプレゼンしなさいと指示しました。そのプレゼンで、これならやってみようということになりチャレンジし始めたのが今年の2月からです。ありがたいことに新卒者の集客で今は4,5社ほどご契約いただいて、合同説明会で出展している依頼企業ブースへ弊社の社員を派遣して集客をしています。今まで1日30名くらいの集客だった企業が150名くらいに増加するなど結果が出ているので確実にお役立ちできていると感じています。いずれにせよ、今まで30名しか集まらなかった中で、同じように30名しか集まらなかったら何のための投資だったのか?となるのを防ぐ為に成果報酬型にしています。

 

DMM:長谷川社長からのトップダウンではなく、社員からの進言ではじまったのですね。

長谷川社長:そうです。新卒1年目の新入社員からですね。非常に優秀な人財です。その他にもこれから新卒採用を始めようという会社へ、弊社のエッセンスを入れながら、大げさに言うとコンサルタントのような形で1社サポートさせて頂いています。

DMM:驚きました。新卒で人事採用のノウハウも無いのに発想が素晴らしいですね。現在、その業務は何名で活動されているのですか?

長谷川社長:人数は基本一人で行い、サポートが必要な場合に一人つけたり、二人つけたりとフォローしています。活動しながら不足しているノウハウは随時、学ばせに行かせたりしています。

DMM:なるほど、これから長谷川社長も楽しみな事業になりそうですね。

長谷川社長:そうですね。ただ、人に仕事がついてしまうので、どのように仕組化していけるかが大事だと考えています。既存事業との兼ね合いも考えていけば、雑には扱えないなと考えています。このように新規事業ができるのも本業があるからこそだと考えています。本業が基盤を作ってくれているからこそチャレンジできるということはとても大事ですね。

苦境から一転。地元のプロバスケットチームのダイヤモンドパートナーに

DMM:ありがとうございます。基盤になる本業があればこそのチャレンジですね。今後の事業拡大にも期待が持てますね。ところで、事業以外にも『広島ドラゴンフライズ』というプロバスケットチームのダイヤモンドパートナーもされているようですが、スポーツのスポンサーを始められたのは、どのようなきっかけがあったのですか?

長谷川社長:信用金庫時代の上司から、プロバスケットボールの新規チーム『広島ドラゴンフライズ』が発足するので信用金庫でもスポンサーをやるけれど興味はあるか?と。私もスポーツが好きだったことと、間接的にでも地域貢献・地域の活性化や東洋商事の企業価値向上、働いている社員・アルバイトやこれから働こうと考えている方やそのご家族も安心してくださると思ってスポンサーになり、現在も続けています。

DMM:意外なきっかけだったのですね。お考えの通り、地域貢献は重要だと思います。地域が活性化しないと地場のお店も元気にならないと思います。

長谷川社長:恐れ多いですけどね、小さな企業がスポンサーをするというのも。

DMM:企業規模ではなく継続されていることこそが重要だと思いますし、働く人にとってのモチベーション維持にもつながることだと思います。スポンサードしている事と共通している部分もあると思うのですが、モチベーション維持として、CIにも採用されている「ココロオドル」という企業理念について、その根底にある想いについて教えて下さい。

長谷川社長:ここは明確な答えがあるかわからないのですが、一つは社員のやっている事を見てあげることだと思います。社員やアルバイトのやっていることを見て、反応して「良かったよ」と伝える事。任せっぱなしにしないことだと思います。

DMM:興味・関心をもってあげるという事ですか?

長谷川社長:そうですね。私も毎日全社員の日報を読みますし、サンクスカードというSNSのアプリも全社員・アルバイトが記入するのですがそちらも毎日確認します。毎日読んでいると、変化もすぐに感じ取れるので、何かあったのかなと思った時に大丈夫?と声をかけられることが大事だと思います。

DMM:サンクスカードというのは、従業員から従業員にありがとうという感謝を伝えるツールなのですか?

サンクスカードの画面。いつ、誰が誰にありがとうを送ったか、送られたかが見られる

長谷川社長:そうです、アルバイトでも社員でも一人1日1通以上は送ります。その「ありがとう」に私が毎日コメントを書き込んでいます。また、日報には業務の改善提案も記載できるようにして、良い提案にはハンコを押印し、ポイントを付与します。ポイントが貯まると給与に報奨金を上乗せして支給できる仕組みにしていてランキングも「見える化」してモチベーションをアップできるように工夫しています。

DMM:それは良い取り組みだと思います。モチベーションが上がりそうですね。長谷川社長が従業員と接する際に気を付けていることなどもあるのですか?

長谷川社長:何事にもすぐに対応することですね。従業員が「社長、少しお時間頂けますか?」と言えば、すぐに聞くようにします。レスポンスを早くすることを心がけています。また、社員もそうですがアルバイトにも私自身がオリエンテーションを行い、会社の価値観や考え方、働く上で協力してほしい事を常々伝えているので、ベクトルを合わせることやモチベーションを挙げることに繋がっているかとは思います。

DMM:社長自らがアルバイトさんに向き合い接するというのは、他社ではあまり聞かない話ですね。

長谷川社長:パチンコ業界ではあまりないですよね。ですが、私も店舗に顔を出すこともありますし、「どう、頑張ってる?」と声をかけたりするように心がけてます。私が人の心理を無視した経営はしたくないと考えています。

DMM:なかなか他社では真似ができない接し方ですね。ただ、コロナ禍での経営手法や社員・アルバイトのモチベーション維持などは特に工夫されてことなどあるのですか?

長谷川社長:給与カットなどは一切せずに満額10割保障しましたね。広島県や組合からの休業要請に協力したり、その前後での影響もありましたが、アルバイトも休みにして3カ月の平均給与や社員で休業した人にも全額支給しました。そして、休業の中、出勤日を決めて集まってもらった時に「今の状況が厳しいので会社をやめます」と嘘をついたのです。場が凍り付きましたが、すぐにネタばらしをしたら皆苦笑いしていました。この嘘の狙いは実際にそんな日があるかもしれない、当たり前の事が当たり前じゃない世界が始まっているという危機感をもってもらい、今、財務が安定して10割給料の保証ができているのはみんなのおかげだと感謝の言葉をかけました。20カ月売り上げが0でも10割給与の保証ができる財務の話をして、生活は安心してくださいと伝えた上で、それでも給料が出せる財務の状況を話ました。その上で安心して会社に残ってもらい、コロナが終わったら活躍してほしいと伝えました。皆がどう受け止めたかはヒアリングしていないのでわかりませんが、危機感をもってもらい財務の重要性を知って貰えたのは良かったのではないかと今でも考えています。

DMM:コロナで今までの常識や価値観が大きく変わりましたから、危機感を持つことや財務について知ってもらうことは大きな意味がありそうですね。かなり驚いたとは思いますけど。最後になりますが、今後の貴社の目標、あるいは業界の展望や忌憚のないご意見、お考えについてお聞かせください。

  

長谷川社長:東洋商事があるのは、先ほどもお話させて頂いたように基幹事業のパチンコがあるからで、その基幹事業の基盤を固め業績を高めつつ、パチンコ業界だけに依存しないその他の業態を拡大し、100億円の売り上げを目指したいというのがひとつの目標です。とはいえ、売り上げがパチンコ業界と違うので、経常利益で5対5の比率にまで成長したいとも思います。また社内的な事で言えば、現在活躍してくれている社員やアルバイトがこの会社に入って良かったなと思える会社になれるように、私が父から引き継いだ会社をピカピカに磨き上げる事が使命だと思います。

DMM:ありがとうございます。

編集後記

広島県内での団体企業説明会で新卒の集客がトップ、それを新規事業にするなどバイタリティ溢れる企業だ。

長谷川社長の次の取り組みは東洋商事をベンチマークする会社見学ツアー事業化。会社の取り組みやシステム、考え方などを共有するツアーを模索し新たなるビジネスチャンスにつなげることを考えているそうだ。

過去に依頼を受けて行っていたのだが、今後さらにシステマッチックなレイアウトで事業化を視野に入れているとのこと。

その土壌にはアルバイト・社員分け隔てなく接して進める「人の心理」を見据えた長谷川社長の想い、「ココロオドル」が宿っている。

人も企業もピカピカに磨かれていくことに期待したい。

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