第十回「みらいの輪」~パチンコ店経営者に突撃インタビュー~SUNZ GROUP
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レジャーの多様化とともにパチンコ・パチスロ離れもめまぐるしい。
とかく、依存問題や子供の放置事件などマイナスのイメージを植え付けられているパチンコ業界。
半世紀以上続き就労人口も20万人超という規模だが、世間の風当たりは強い。
様々な要因で店舗数もどんどん減少しており、逆風の只中にいる。
そんな苦境だらけの時代に突き進むパチンコホール経営者の生きざま、考え方について深堀していく。
更新日: 2023/10/11
第十回 SUNZ GROUP
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大衆娯楽のパチンコ業界。その文化を未来へ紡ぐため、2020年10月に2つの業界団体が合併し成立したMIRAI(一般社団法人MIRAIパチンコ産業連盟)。
本企画はそのMIRAIで活躍する各企業のキーマンにフォーカス。パチンコホールの経営者の生い立ちや普段聞けない生の声を独占インタビューする。
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SUNZ GROUP
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1976年11月18日生まれ 47 歳 |
パチンコ業界の経営者に話を聞く「みらいの輪」。
第10回は兵庫県にホール、不動産業、保育園、訪問介護や老人ホーム他、高齢者介護事業を展開し、さらに北海道や沖縄にまでスパや宿泊業を経営する実業家であり、また現役のミュージシャンとしても活躍。異色の経歴をもつSUNZ GROUP(サンズグループ)三山社長にインタビュー。同社はミリオンとして1954年に創業。2017年に組織変更を行い、5社のグループを要するSUNZ GROUPとしてスタート。「人生にイロドリを。」自分の生きたい人生を社員に送ってもらいたいという、三山社長の想いが込められている。その思想の中にはミュージシャンとしての一面を持つ異色の社長の半生が生かされている。
音楽に明け暮れ、プロを目指して上京
DMM:本日はお忙しいところお時間いただきましてありがとうございます。よろしくお願い致します。
三山社長:よろしくお願いします。
DMM:初めに、三山社長が音楽を始める前の将来の夢や、どのような子供だったのか教えてください。
三山社長:私は4人兄弟の末っ子で長男として生まれました。父がパチンコ店経営をしていたので、必然的にその後を継ぐという感覚でした。小学2年生の作文にもパチンコ屋を継ぐと書いていましたね。中学生で『THE BLUE HEARTS』の楽曲と衝撃的な出会いを経て、高校生でバンドを組みました。それから音楽にどっぷりつかって、パチンコ屋を継ぎたくなくなってしまい、大学卒業後にフリーターをしながらバンド活動を続けました。
SUNZ GROUP ホームページより
DMM:音楽に出会って考えが変わられたのですね。その音楽からパチンコ店を継ぐという考えの転換はどのようなきっかけだったのですか?
三山社長:大学卒業の22歳のとき、父に「音楽のプロになりたい」と話しました。父は「4年本気でやりきってダメならあきらめろ」と理解していただき、音楽活動を続けることができました。リミットの4年目が近づいてきたとき、あるオーディションの準グランプリに選ばれて上京し、それがきっかけで2年ほどバンド活動を延長する事ができました。プロのミュージシャンとの交流もできて、メジャーの世界も見えてきた頃、ふと自分のやりたい音楽とは違う景色が見えはじめました。音楽をやらされている感覚が強くなり、単なる「商品」に感じてしまい、ワクワクすることが無くなってきてしまって、メジャーへの興味が薄れてきてしまいました。その時フリーターでバーテンの仕事もしていたのですが、バーの1店舗を任されていて、目の前のお客様に喜んでもらえる商売の楽しさを肌で感じることができたのです。そこで、商売の道に入って父の会社を経営していくのも面白いと思ったのが入社に至った流れです。自分が会社に入って経営に携わることで、何かできることがあるかな、違う事業も拡げられたらいいなと入社時から思っていました。
DMM:なるほど、入社時からパチンコの原資で違う事業を拡げ、多角化しようと考えられていたのですね。
三山社長:そうです。入社する最初からその思いはありました。
破綻の危機からV字回復
DMM:ホームページも拝見しましたが、色々な事業をされていますし、沖縄や北海道まで進出されているのは何か理由があるのですか?
三山社長:沖縄や北海道は、私が仕事で行きたいからですね(笑)仕事で行って、そのままついでに遊びたいという自分の気持ちに素直に始めたのがきっかけです。
DMM:そうなのですね。仕事と楽しみを織り交ぜられていますね。続いて、貴社の沿革についてですが、有限会社ミリオンから2017年のSUNZ GROUPに改組した状況やきっかけについて教えて下さい。
三山社長:元々は有限会社ミリオンと有限会社太陽産業という2社でパチンコ店を経営していました。名称が古いイメージだったので、事業の多角化やブランディング、時代に合わせた名称変更をしようと考えました。私の三山の三(さん)と太陽が好きなので、(太陽のSUNとかけてSUNZ GROUPにしました。2017年に私が全てのグループの代表を引き継いだので、そのタイミングで変更しました。
DMM:なるほど、三山社長のお名前と太陽に由来しているのですね。そのSUNZ GROUPに名称や組織を変更されて、メリットや組織が変わられた事などはありますか?
三山社長:第二創業のような気持ちになったことや、私自身の意識の変化がありました。やり方や体質、今までの形を変えたいという気持ちが強くあり、パチンコ事業以外に3つの新規事業を始めました。ただ、新規事業はうまくいかず、もう残っていないです。その体質を変えたいと思ったきっかけは、2014年頃からパチンコ事業が右肩下がりになり、遊技機の入れ替え競争など多額の出費と、競合店の進出で売り上げがガクッと落ちてしましました。その時に父からお叱りを受けて、パチンコ店も含めて事業の整理を行ったことが発端でした。SUNZ GROUPに変えたからという事ではなく、私の意識が拡がりすぎて集中できなかったことも相まって、破綻の危機に陥ったのが、SUNZ GROUP発足時になります。
DMM:名前を変えてプラスに働いたというよりも、スタート時に苦戦されていたということですね。
三山社長:そうです。私もまだ若く、経営の経験がない中で、父に頼るのも嫌だという思いもあり、自分のブレーンを他社のコンサルティング会社に依頼して作り、財務体質改善も進めていました。金融機関との交渉も行っていましたが、知識と経験が足りなかったことで壁にぶち当たりました。
DMM:厳しい船出だったのですね。その厳しい状況を立て直したエピソードも教えて下さい。
三山社長:それまで、会社の根幹にある、経費や収支を幹部には見せておらずブラックボックス化していました。借入返済の大きさやかかる税金額など現場の責任者には見えない状況です。会社が厳しい状況になった時、みんなで作ってくれたキャッシュの流れがどうなっているか、借入金を1本化しようとしたがうまくいっていない事など全てオープンにして謝りました。「みんな頑張ってくれているのに申し訳ない」と。その時、彼らは逆に「申し訳ありませんでした」という雰囲気になりました。自分たちはキャッシュフローについて何もわからなかったのに「なんでこんなに頑張って稼いでいるのに給料を上げてくれないのだろう」と、自分の事ばかりしか考えていませんでしたいうような雰囲気になりました。そのエピソードがきっかけでチームのスイッチが入りました。V字回復の道筋を1年、2年計画を立てて店長以上の幹部社員で共有し、経費を削り、コスト削減に取り組みました。その後1年くらいでリースや割賦金の月額支払いも減っていき、遊休資産の土地だけではなく、収益物件だった土地も売却しました。業績のうまく出せない店舗も売りに出し、とにかくやれることは全部やってみました。その事も幹部が理解し、本気度もうまく伝わり経費削減だけではなく、業績アップへ一気に繋がりました。
DMM:ありがとうございます。経営者と社員という壁が無くなり、チームとして一丸になれたことで想いが伝わったのですね。2017年は危機的状況で、2018年から業績は回復されたのですか?
三山社長:はい、2018年後半からは業績が伸び始めて、2019年には利益が出せるようになりました。2020年には過去最高益が見込めそうだと思った矢先のコロナ禍でした。
DMM:コロナ禍は誰も予想できないですし、得した人もいないですね。
三山社長:ですが、コロナ禍で良かったこともありました。
DMM:それは興味深いですね。コロナ禍で良かったというのはどのような事ですか?
生きたキャッシュの使い方で、スピード感のある事業展開
三山社長:コロナ禍になり政策金融公庫から資金を借り入れすることができました。借り入れにより当時、パチンコ事業3店舗で4億円の借金が増えました。4億の借金だと「大変だ」と思いますが、遊技機の入れ替え問題などもありましたので、積極的に投資や営業に回しました。その結果、2年間継続してコロナ禍以上の稼働や売り上げを出せるようになりました。結論を考えると4億円の借金でも効果的に投資ができたと思えました。借入でもすぐに動かせるキャッシュができたのは本当に良かったと思います。
DMM:なるほど、借金と聞くとネガティブなイメージとして身構えまえそうですが、すぐに投資できるキャッシュと考えるとポジティブになりますね。ピンチをチャンスに変えられた好例だと思います。
三山社長:そうですね、そこは中期的にうまく成果を出せたと思います。
DMM:新規事業もこのコロナ禍で立ち上げられていますね。
三山社長:はい、コロナ禍で一気に増えましたね。借金が増えて、手元資金が増えたからできる事を今も実感しています。やはり手元にキャッシュがあるとスピード感が高まりますね。
DMM:そのキャッシュの投資先として、不動産事業はじめ介護施設や保育、飲食事業と街づくり・人づくりへと連携されているように感じましたが、その事業をはじめられたトリガーについても教えて下さい。
三山社長:パチンコ事業用に準備していた土地が豊岡市にあったのですが、地方都市で地価も下がっていく中で、有効利用できていませんでした。そこで、不動産会社からマンション開発等、有効な土地活用を勧められたのが土地活用のきっかけです。当時は私も会社の経営に携わっていませんでしたが、豊岡市という限られたマーケットで5軒のパチンコ店があり、地域に貢献できる状況でもありませんでした。地方故に全国平均でも高齢者比率が高く、高齢者に向けた事業をすることによって地域貢献や私たちを育ててくれた豊岡市に恩返しができるのではないかという想いもあり、パチンコ店の前に用意していた余剰の駐車場に介護施設を2014年に建てました。知識も経験も0ベースから始め、最初は「パチンコ屋が何しとんねん」と風評もありましたが、続けていくことで徐々に入居されている方や、そのご家族、ケアマネージャーさんはじめお取引先からもお褒め頂けるようになりました。「地域から喜ばれる」というダイレクトな「ありがとう」を頂けるようになり、これだなと思える実感になりました。その後、地域貢献にもつながる介護事業を2棟3棟と増やしていきました。
また、当時「社員の夢を叶える会社」と言うスローガンを掲げていて、社員一人一人と将来の夢について面談したときに「私は保育園で働くのが夢です」という方がいました。同時期に出産予定の社員も「産後、子供を安心して預けられる事業所内保育があれば安心して職場へ戻ってこられます」という話もあり「それならばうちのグループで保育園を作ってしまおう」と2018年につくりました。地域に貢献していける+社員にも喜ばれる、ということで社員の家族も優先して利用できるようにしています。街づくりを既存の街で行うというより、SUNZ GROUP内で街づくりをしていくイメージです。SUNZ GROUPにいれば生まれてから死ぬまでグループでサポートできるようにしたいと考えています。
DMM:ありがとうございます。遊休地の有効利用や社内の声ではじまったサービスが地域への貢献、恩返しもできるのは理想ですね。意欲的に事業展開をされている中で、他にも新しい事業構想などはありますか?
三山社長:今、明確に思い描いているのは農業です。ここに至った要因は2点で、うちの幹部社員で将来農業をやりたいという夢があり、それを実現させてあげたいという想いと、コロナで影響を受けた事業と伸びた事業がある中で、農業は飯さえ食べられれば何とかなりますので、現金は支給できないけど米が支給できればいいなと思いました。街づくりの一つとして農業をやっていればお金は入らなくても飯は食べられるぞ、飯さえ食べられれば次に稼げる時まで食いつなげるぞと、という考えからです。
DMM:なるほど。サービス業でのキャッシュも重要ですが、一次産業で物理的に食料確保ができるとリスクヘッジになりますね。農業はすでに着手されているのですか?
三山社長:いえ、現段階ではリサーチしている段階で、場所や農作物などもまだ決定していません。
DMM:水耕栽培を通じて障害者雇用などの事業も行っている企業もあるので、今後の展開が楽しみですね。ところで、直近の新規事業では7月30日に『730ホテル』を沖縄県石垣島に開業されたばかりですが、多様な事業形態を包括することでグループのコングロマリットを目指されているという認識でよろしいですか?
三山社長:はい、グループでは多様性や将来性を考えてコングロマリットを目指したいと考えています。『730ホテル』を始めるきっかけは、那覇市でドライヘッドスパ事業をはじめた時に非常に良いスタートが切れたことがひとつの理由です。沖縄でマッサージ事業はニーズがあるなと感じました。そして、沖縄本島以外にもマーケットになりそうな石垣島に行ったことが無かったので、現地に物件探しに行きました。ヘッドスパには不向きでしたが、とても場所に魅かれた物件があり、その時は宿泊事業も未経験ですので、ホテルにしようとは思ってもおらず、ただ何かできないかなと模索しながら帰りました。その後、何回か通って何ができるか考えた末、1日1組限定のラグジュアリーなプライベートヴィラのようなホテルを作ったらどうだろうと思い作ってみました。
DMM:フィーリングとインスピレーションで始められたのですね。石垣島は人気のスポットですし、コロナ禍も収束したので、今後伸びそうですね。今後も同じようなコンセプトでの宿泊事業の展開はお考えですか?
三山社長:宿泊事業の展開は考えています。今後の日本のマーケットニーズとして観光業があると考えています。その一つに8月から始めた福岡県の民泊事業もあり、予約サイトはひとつしか出していないですが、いきなりフル稼働しています。今後も需要が見込めると考えているので、続けて物件探しをしているところです。
DMM:コロナ禍前からインバウンド需要は言われていたので、今後さらに伸びそうですね。現在、宿泊事業も専門チームで運営されているのですか?
三山社長:そうですね。最初は私一人で始めましたが、今はうちの社員が1名兼務で、あとは外部の方と数人でプロジェクトチームを組んで運営しています。現在、清掃は委託していますが、将来的には自力でできればと考えています。今は福岡と石垣島だけですが、今後はどんどん増やしていきたいですね。最初は私のワクワク感で始めて、後からどうやってシナジーを作るかと考えていく事が多いです。特にこの事業はあまり最初から計算してやっていないですね。私はその衝動が大事だと思っています。宿泊事業の物件は賃貸ですので、何かあればすぐに撤退もできますし、社員が安く泊まれれば福利厚生にもなります。
スモールスタートで様々な分野にチャレンジ!
DMM:色々な考え方の経営者とお話させて頂いていますが、三山社長はまず熱量から始められるのですね。現在は介護施設、宿泊事業やヘッドスパ以外でも飲食でもカフェや牛スジホルモン、まぜそば、レモンケーキ専門店、保育園と関連性少ない色々な事業をされているなと改めて驚かされますね。
三山社長:レモンケーキは友人がブランドオーナーをしており、誘われてはじめました。そのレモンケーキも非常に美味しいですし、センスのある方なので一緒に事業をやると面白いと思って始めました。ヘッドスパはじめ、コロナ禍で始めた事業はどれも初期投資が少なくてすむのです。ですから、リスクも少なくスピード感のある店舗展開を推進できたと思います。
DMM:確かに、パチンコ事業の設備や機械入れ替えを考えると額が違いますね。多角化していく事業の中で今後どの事業に力を入れる等、目標はありますか?
三山社長:どこに力を入れるという事では無く、それぞれの事業責任者が本気でやってくれています。生活・社会インフラになる介護と保育事業はその軸として投資は大きくなるとは思います。私たちは「人生にイロドリを。」というミッションを掲げていますので、関わる人たちがイロドリ溢れる人生になれるような事業に繋げていけるように考えています。それはヘッドスパや飲食、パチンコ屋がイロドリを添える事業ですが、そのイロドリとインフラとなる事業をどう繋げていけるかですね。異なる事業のピースがパチっと繋がるわけではないのですが、それが街づくりに繋がると思います。保育事業や介護事業が必要、外食もマッサージも必要、パチンコや旅行でホテルに宿泊も必要と作っていくと、それが結果として街になる。そこで必要なところに必要な投資を入れていくという流動的な形になると思います。
DMM:それぞれの点として独立した事業が線になって、街という面につながりますね。
三山社長:そうですね。そして「人生にイロドリを。」は私のテーマです。私の歌にもありますし。
DMM:イロドリは物理的な豊かさではなく、心の豊さですね。趣味や余暇の過ごし方が仕事へのモチベーションにもなります。モチベーションと言えば、コロナ禍でのアルバイト・社員のモチベーション維持はデリケートな事もあったとは思いますが、SUNZ GROUPではいかがでしたか?
三山社長:自粛で営業ができなかった時期がありましたが、予定として入っていたシフト分の給与全額支給は早期に決めました。早期に決定したことが結果的に良かったです。他の会社だと100%支給してもらえないとか、アルバイトを辞めさせられたとか、友人知人の話や噂をスタッフも見たり聞いたりしている中で、全額支給すると決めたうちのスタッフは喜んでいました。会社も苦境の中での持ち出しではありましたが、良かったこともありました。スタッフの中には、仕事せず家にいるだけで給料を全額貰えるのは申し訳ないと考える人が居て、誰も言ってないのに自ら出勤して駐車場の草を抜き始めたりしてくれて、さらにその輪が広がったのです。私はありがたいなと感動しました。そういう想いのスタッフさんたちがいてくれて私の方が逆に「ありがとう」と思いましたね。もちろん、会社としても給与100%支給は自粛期間中最後までやり切りましたが、そういう事がモチベーション維持のプラスに働いたと思います。
DMM:そういう心を持った人を社員にしたいですね。
三山社長:そうですね。同じようなエピソードがあるのですが、今はヘッドスパ・宿泊事業の責任者をやってもらっている部長がおりまして。元々はパチンコ事業の責任者だったのですが、その時にパチンコ事業の固定費が多くて業績が伸び悩んでいた時期がありました。会社としては、一生懸命働いてくれている社員に、どんなに赤字でも支給できるうちは賞与を出す方針だったのですが、その時に彼は「自分の賞与も昇給もいらないです、給与も減額してくれて良いので、その分を他の社員の賞与に充てて欲しいです」、とこっそり懇願してきたことがありました。彼の心意気に私はいたく感動しまして、彼のようなリーダーの下で働いている社員たちは幸せだなと思いましたし、このような部下がいてくれるのはありがたいなと思いました。実際には彼の給与の減額はしなかったのですが、彼の想いに報いるように本来の額以上出しました。ハートが熱いですね、みんな。彼も2017年ショックを乗り越えた仲間です。
DMM:その部長は思いやりのある方ですね。仕事の面以外でも人に信頼されるからこそ、現在まったく異なる分野の責任者もされているのですね。ただ、分野が全く違うので大変そうですが。
三山社長:苦労はしていますね。さらに場所が北海道とか石垣島とか多岐にわたっていますので。経費がかかりますし、現時点で全店黒字化はできておりませんから、そうそう飛び回れない事を責任者としてわかっていますので、どのように遠隔で事業を回せるか、今までパチンコ事業で店長や事業責任者としてバリバリ経験を積んでいるのでそこは信頼しています。パチンコ店の店長のマネジメントスキルは高いと思っていますし、感じています。実際、彼は何とかするので、信頼して任せています。一緒に苦しい時代を味わってきているので、信頼関係は厚いですね。
DMM:信頼できて同じ方向にベクトルが向いている仲間がいると仕事は迅速に進みやすいですし、失敗も少なそうですね。
三山社長:今は事業責任者が5名いるのですが、安心して背中を任せられますね。私はアンテナを立てて突っ走っていますので、これだと思ったらすぐに「やろうぜ!」となるタイプです。責任者たちは「社長がやると言ったら止まらない」というのを実現できるように、あとは私たちに任せて下さいというスタンスで構えてくれているので、このスピード感で進んでいけますね。
DMM:なるほど、鉄板の信頼関係があればこそだと思います。最後になりますが、今後の貴社の目標、あるいは業界の展望や忌憚のないご意見、お考えについてお聞かせください。
三山社長:私たちはグループとしては「ハレの日を、世界に」などコピーがあり、ビジョンマップに即して会社を運営していこうという指標を掲げています。その指標に則って会社運営をして行くのが、個人的に代表としての思いなのですが、一度きりの人生を自分が生きたいように生きられる人を増やしたいと考えています。何かしら我慢して自分の人生を生きていないとか、自分の人生を自分でつまらなくしてしまっている人が多いかなと思っています。どうせなら自分の生きたいように生きようぜ、とシンプルに思っています。同じように想える人を周りに増やしたい想いで会社を経営していますし、自分もそう生きています。そういう人を増やして導いていくというミッションを自分で課して、これからも私の人生を生きていきます。それが会社の展望にも繋がりますし、事業領域を決めているわけでもないので取り組みにリミットは設けていないです。コングロマリットという言葉を知って良いなと思いまして、一見まったく何のシナジーも無さそうな事を展開していってそれが会社の面白みにもなると思います。真逆の事を行うことにより、線の長さに繋がりますし、面の広さになって、そこに経験値が加われば立体になっていきますし、そういう考え方で遠い場所、今の業態と遠い事業もやりたいと考えていますし、海外に進出することも決めています。ただ、海外で何しようという事はまだ決めておらず、そのリサーチはこれからしていきます。今日、「毎日がサイコー」と思える人たちを増やしながら、事業をやっていくことが私たちの夢です。
DMM:自由な発想はやはり感性豊かなミュージシャンとしての素養ですね。ここではあえて、どこの国に進出したいかは聞かないでおきます。進出されてビジネス展開されたときに、三山社長はここで遊びたかったのだなと思いだしますね。それを楽しみにしています。
三山社長:それはナイスアイディアですね。楽しみにしていてください。またパチンコ事業に関しては3年スパンで考えて設備投資しなければいけないところはしますし、入れ替えに追われることはせず、長く使える設備や遊技機は長く使い、煽り営業もせず、いつでも同じ安心感のある無理をしないローコスト体質のパチンコ経営をしていくという考え方です。収益が上がらなくなったらやめるという覚悟も持っていますね。
DMM:ありがとうございます。過当競争に参加せず、もともとの大衆娯楽をすすめられるのは良いですね。SUNZ GROUPの今後の事業展開を楽しみにしています。
編集後記
2003年にAXIAアーティストオーディションAXIA賞を「ザ・ガレージランド」として受賞し、ミュージシャンとして活動していた20代。
三山社長は異色の経歴を持つ経営者だが、根本は「したいことをできる風土」を作るという揺るがない信念をもっている。
自身が音楽に傾倒していたように、「仲間」にも行きたい人生を歩んでもらえるよう、スタッフの意見に耳を傾け実現する。
根底にはやはり熱いrock ‘n’ roll魂が見える。
現在、ミュージシャンとして楽しむことが支援になる!山小屋祭2022in M shine熊本人吉球磨豪雨水害にも昨年から参加するなど、これからも「ミュージシャン社長」として業界内外にイロドリを添えてくれそうだ。