パチンコ・パチスロ特集

第十四回「みらいの輪」~パチンコ店経営者に突撃インタビュー~株式会オアシスグループ

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みらいの輪とは

昔のように勝てない!面白くない!
レジャーの多様化とともにパチンコ・パチスロ離れもめまぐるしい。
とかく、依存問題や子供の放置事件などマイナスのイメージを植え付けられているパチンコ業界。
半世紀以上続き就労人口も20万人超という規模だが、世間の風当たりは強い。
様々な要因で店舗数もどんどん減少しており、逆風の只中にいる。
そんな苦境だらけの時代に突き進むパチンコホール経営者の生きざま、考え方について深堀していく。

更新日: 2024/04/01

 

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 大衆娯楽のパチンコ業界。その文化を未来へ紡ぐため、2020年10月に2つの業界団体が合併し成立したMIRAI(一般社団法人MIRAIパチンコ産業連盟)。

 

 

本企画はそのMIRAIで活躍する各企業のキーマンにフォーカス。パチンコホールの経営者の生い立ちや普段聞けない生の声を独占インタビューする。

 

  

佐藤 慶一朗 代表取締役社長

株式会社オアシスグループ

愛媛県今治市

 

  

 

パチンコ業界の経営者に話を聞く「みらいの輪」。

第14回は、千葉県君津市を地盤にパチンコ・ゲームセンターから温浴施設、フィットネスや身近な生活サポート事業まで幅広い活動を展開。
「衣・食・住・職」を掲げ、社員満足度の向上と地域に根付く会社運営をしているオアシスグループ株式会社の佐藤 慶一朗社長にお話を聞いてみた。

DMM:本日はお忙しいところお時間いただきましてありがとうございます。よろしくお願い致します。

佐藤社長:よろしくお願いします。 

DMM:最近はフィットネス等、他の事業も手掛けられていると聞いております。色々お話を伺いたいのですが、まずは佐藤社長のプロフィールから教えてください。  

佐藤社長:私の生まれは愛媛県の今治市です。母方の家族が愛媛県でパチンコ店を経営しておりまして、四国から出て東京圏内でビジネスを広げようという祖父の想いから、関東でのビジネスを展開しました。

東京、千葉、神奈川、埼玉で「日の丸(ヒノマル)」の屋号は我々の一族の会社で、その中で私たちは千葉県の南房総で店舗を経営している会社になります。
私が3歳の時にオアシスグループの前身である「有限会社君津日の丸」を立ち上げる事になり、この地に移り住むことになりました。

住み込みのスタッフの皆さんと共に生活をして、パチンコ店内で遊び、パチンコ店のお客さんと身近に触れ合っていました。
幼稚園時代には、園長先生にうちの店で「負けた」と言われることもありましたね(笑)
その中で会社の創業期、立ち上げの難しさも子供ながらに体験しました。

当時はコンプライアンスが確立していませんでしたから、新しい土地では新参者への反社的な勢力からの誘い等もよく聞く話で、当然父にも誘いがありました。
それでも我々は企業のDNAとして、頑なに反社の誘いに乗らず、正々堂々と真っ当な商売を貫きました。
時には圧力を受ける事もありましたが、それでも屈しない強い意思を創業者である父の姿勢から学ぶことができました。

絶対負けない精神、不正には手を染めない姿勢を身近で学ばせてもらいましたし、家族会議がイコール経営会議でしたので、幼少期から経営の楽しさ・難しさ、あるいは喜びを身近に観察できていたのかなと思います。
ただ、そのころは景気も良かったですし、私が甘やかされて育つ事を心配されて親元を離れる事になりました。そして中学受験を受けて茨城県の中高一貫の全寮制の中学校に入学しました。 
振り返ると、人生で必要な事はすべて寮生活で学んだと言っても過言ではないですね。

 

DMM:大事な跡取りだと手元で見守りたいと思いがちですが、あえて外に出されて荒波にもまれる教育をされたのですね。かわいい子には旅をさせろということですね。貴重な体験だと思います。

寮生活で体験した社会の縮図

佐藤社長:そうですね。寮生活では理不尽がまかり通る、いわゆる「社会の縮図」も体験しました。
一つ上の先輩は「神」のような存在で、2つ上になるともはや「神」を超えている存在でしたね。
寮の3階から飛び降りろと言われたり、腐った牛乳を目の前で飲めと言われたこともありました(笑)。
およそ親元から離れなければ体験できない事をたくさん体験できました。 

DMM:今は笑ってお話されていますが、結構過酷な内容ですね。  

佐藤社長:一番印象に残っているエピソードは男子寮で年頃の子供たちですから、成人雑誌に興味を持ち始めたのです。
もちろん、寮には持ち込めませんから、新入生だった私が維持管理する役目を担い、見つかるとすべての責任を負うという事になりました。

帰国子女の多い学校でしたので、イタリア・ケニア・インドなど世界各国の成人雑誌を私がキュレーションすることになりました。
それが一回寮母さんにバレてしまい、女子寮の女子生徒を含めた全寮生の前で謝罪会見を開くという事もありました。(笑)

そのことも含めて、人生で必要なすべての事を寮で学んだと言っても良いですね。理不尽極まりないですが(笑)

 

DMM:結構キツイ体験ですね。 

佐藤社長:中学生だと、ラグビーの伝統校ということもあり、体力的に上級生には敵いませんからね。
私もラグビー部だったのですが、入部の経緯も色々ありました。
入学すると各部活の勧誘があるのですが、私は男子寮の3人部屋で同室の先輩2人がラグビー部でした。ある日、学校から寮に帰るとあとはサインをするだけのラグビー部の入部届が机に置かれていました。
そこはもう先輩に忖度して、無事ラグビー部の部員となりました。

そのように理不尽を学び、また帰国子女が多かったので、世界の生活感や価値観を学ぶことができました。
ただ、英語は帰国子女の学生はある程度できていて、そこで差があることが悔しくて、一生懸命勉強しましたね。おかげで中学校3年生くらいの時にはだいぶ英会話も身についていました。

世界へ飛び出し、研究の道へ

DMM:悔しさをバネにされたのですね。

佐藤社長:そうですね。そして高校1年生の時に日本経団連が主催するUWC(united world colleges:国際的な民間教育機関による交換留学生制度)があると聞いて、応募、合格し高校2年生からシンガポールの高校に留学しました。
2年間シンガポールの高校で学び、もう少し海外での勉強をしたいと思い、アメリカの4年制大学コーネル大学(Cornell University)に入学しました。

在学中から生物学を専攻していたので、そのまま修士課程も続けたいと思い、分子生物学(molecular biology)をUCLA(University of California, Los Angeles:カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で勉強していました。

 

 

DMM:予想外のご経歴ですね。研究職をされていたのですね。分子生物学ではどのような研究をされていたのですか? 

佐藤社長:分子生物学で主にガンの発生過程なども研究していました。
ただ、研究結果が社会に出て貢献するのに時間がかかります。

その当時、早く社会に貢献したいという想いもあり、研究ではなくビジネスで社会貢献したいと考え、帰国して外資系の大手情報通信企業に就職しました。

DMM:思い切った決断をされたのですね。その企業ではどのくらいご経験されたのですか?

佐藤社長:そこでは3年在籍しました。在籍中はエンジニアのいろはや、ビジネスのいろはを勉強させてもらって、2000年の6月に父が経営する有限会社君津日の丸(現株式会社オアシスグループ)に入社しました。

DMM:ありがとうございます。多彩な経験をされ、大学での研究に進まれたというのは想像以上の大転換ですね。 

 

「衣・食・住・職」で、住民目線で市場を知る

DMM:もっと深堀りしたいところですが、お時間もありますので、次の質問に移らせていただきます。貴社の沿革で新規事業への挑戦が多くみられますが、その中で大きな転換や成功などのエピソードを教えて下さい。

佐藤社長:外部環境の変化やパラダイムシフトが脈々と続いている以上、ビジネスモデルには賞味期限があると考えています。設備投資や人材育成で賞味期限を延長することは不可能ではないですが、成長を目指すにはチャレンジを続ける必要があります。2008年にピークを迎えた日本の人口は今後下がる一方です。
私たちのように地方都市で経営をしていると急速に進む少子高齢化への対応は避けて通れない道だと考えています。既存のビジネスモデルに固執していたのではお客様数もスタッフの数も維持が精いっぱいで増やすことができません。

無論、他の地域に進出して5店舗、10店舗、20店舗・・・と拡大することも可能でしょう。
しかし、そうなると社内でも引っ越しを伴う異動が発生してしまう。家族の絆が壊れてしまう恐れがあるワケです。これに対処するために当社が創業期から心がけてきたのが事業の多角化です。会社の創業者である私の父は、「衣・食・住・職」を1セット、1ドメインでできることが人間的な生活を送れる秘訣と認識し、そのDNAを私も引き継いできました。人口減少を前提に多次元のポートフォリオをくみ上げる。
十分条件であり必要条件では無いと認識していますが、分相応のリスクテイクは継続していきたいと思います。

 

DMM:なるほど、かなり幅広い事業をされていますが、その選定は地域で必要不可欠なものから選び出されたりするのですか?その判断基準について教えて下さい。

佐藤社長:企業として、自分たち自身がやっていて特徴的だなと思うのは、この企業はこの地に住んで、この地の一住民として次に何をやるかを考えているわけです。

そうなると場所の選定もさることながら、ビジネスモデルそのものについても自分たちが住民目線で見ていますし、また変化も肌身で感じています。そこは他の企業とは違うのかなと思いますね。
他の企業であれば、別の地域に住んでいる社員が会社まで1時間かけて通勤することが当たり前になっている事も多いと思います。ビジネスの場所と生活の場所が一致していないということは、見えない事わからない事も多く生まれると思います。 

私たちはその地域の一住民ですから、ここに足らないものは何だろう?という目線で常に見ているという事です。
新規出店する企業は、マーケット調査や現地調査をすると思います。ただ、その調査は1週間など短期でしかやらない事も多いと思いますが、私たちはそれをずっとやり続けていることが、大きなポイントかなと思います。
ですから、弊社ではマーケット調査ということはやらないですね。あえてやる意味が無いですから。私たち自身が調査をしているので地域の事は十分理解しています。
昔から今に至るまで定点観測を続けていますので、その確度は高いと思います。 

DMM:そうなのですね。住民目線で見ているというのは、24時間365日観察できる何よりのマーケット調査ですね。現在はコインランドリーの事業も展開されていますが、こちらも順調に業績は上がっているのですか?

 

佐藤社長:はい、コインランドリーは2000年からはじめて順調です。コインランドリーを始める前にお風呂屋さんをはじめていたのが元々の経緯です。
お風呂を作ったのは創業者である父です。これも同じ発想で君津市に銭湯が無いことを受けて、『おじいちゃんと孫が一緒に楽しめる施設を』というコンセプトで誕生しました。

ただ、お風呂屋さんの1階部分に余裕があったので、お風呂を利用されるお客様の利便性を高める為に散髪屋かコインランドリーか、どちらかをやろうという話になり、結果コインランドリーをはじめる事に決まりました。
それがはじめると評判も良かったので、そのお風呂屋さんのコインランドリーだけ10年ほど続けていました。
ところが、10年経ち、近隣にコインランドリー単体の競合他社が現れたのです。

私たちからすると、それは大きなサプライズでした。
お風呂の「おまけ」で運営していたコインランドリーが単体でビジネスになるのだと。
そこで競合できるのなら私たちもやってみようということになり、今は10店舗以上運営するまでになったきっかけです。
住民目線でしたので、競合の進出もすぐにわかりましたし、繁盛している事も見ているので、自分たちもいけるなと感じました。

 

オアシスグループの運営する温浴施設

 

DMM:なるほど、コインランドリー事業を本格化したのは競合の出現がきっかけだったのですね。 

佐藤社長:そうです。これが単体でいけるビジネスなのだなと感じました。後付け理論で言うと、女性の社会進出や住宅の高層マンション化が進むにつれてコインランドリーがマーケットとして伸びてきています。

DMM:女性の社会進出と住宅の高層マンション化がどのようにコインランドリーに影響しているのですか? 

佐藤社長:女性の社会進出でいうとコインランドリーの利用で、決められた時間ですべてを終えられることがあります。コインランドリーを使わないで家で乾燥するのを待つとなると時間がかかるじゃないですか。女性が社会進出するとコインランドリーを使いたい人が増えるのです。

また、高層マンションは君津市内ではそれほどではないですが、千葉市内ではマンションで夜遅く帰ってきて洗濯機を回すとなると近所迷惑になるのであまりやらないようです。

24時間営業にすることで、いくら遅く帰ってきても翌朝までにはビシっと朝までに洗濯が終わらせられています。一戸建ての住宅だとそのようなニーズは少ないかもしれませんが、マンションなど集合住宅ではニーズはまだ増加するのかなと考えています。

DMM:確かに、マンションやアパートだと夜の洗濯は躊躇しますね。21時過ぎてピアノを弾かないだとか、近隣トラブルを起こさない為の暗黙のルールはありますね。

佐藤社長:そうですね、そのニーズは確実に拾えると思います。その証拠に都市部の稼働は21時過ぎにグンと上がりますね。

DMM:なるほど、やはりニーズは多いのですね。

佐藤社長:また、今進めているのがコインランドリーから「コイン」を取ることですね。キャッシュレスの導入を進め始めています。「コインレスランドリー」って、ネーミングになるとなんだか変は事になってしまいますけど(笑)どのような名前が最適かはまだわかりませんけど。コインランドリー事業はそのような状況です。

 

 

DMM:ありがとうございます。その他うまく軌道に乗って、柱となっている事業はありますか? 

佐藤社長:当社の事業は多数の失敗の上に成り立っています。失敗した事業は早々と撤退するのであまり目立つことはないですが、失敗の数の方が多いと思います。
聖域を設けずに地域一番手で先ずはやってみる。前例や経験が無いことを言い訳にせずに分相応のリスクを取る。祖業であるパチンコも、その他の事業も社会の変化に合わせて全力投球で改善を加えています。

事業の立ち上げに際して大切にしているのが「Think on your feet」という言葉。

「やりながら考えろ」という意味になるでしょうか。PDCAのPはなくて、いきなりDが最初で、とにかく行動から始めるという感じですね。

グループ内で直近で立ちあげたインドアゴルフ事業などはゴルフクラブを握ったことすら無い社員に任せました。当然沢山の失敗を経験するでしょうが、やりながら考えるチカラは育まれることだと思いますし、業界の常識を壊すためには玄人よりも素人の方が良いと考えています。

MAX BETで大成功した新台導入

DMM:とても共感するお話ですね。時代毎に求められるサービスやニーズをいち早く察知して動けることが大事ですね。その変化に伴い、佐藤社長が入社されてから、あるいは会社のTOPとなってからの成功・失敗体験や印象の深いエピソードを教えて下さい。 

佐藤社長:成功という事はあまりないのですが、1つだけあげるとしたら4号機時代に『北斗の拳』(初代パチスロ北斗の拳)が出た時の事です。たまたま都内のセミナーで北斗がいいぞ、と聞きました。
当時、購入はしていたのですが、映像もポリゴンで私はあまり気に入らないなと感じていました。ですが、若い人と話していて「北斗良いですよ」と言っていたので、「君が『北斗の拳』が好きなだけだろう」という会話をしていました。

ただ、しばらくデータを見ていたら6台で25,000枚が続いていて、ひょっとしたら良いのではないか?と思いはじめた矢先に都内のセミナーで、あるコンサルタントが「北斗が良いですよ」と言っていたのです。
その頃はまだインターネットも広がっておらず、情報も局所的でメーカーも同機種をあまり推していないような状況に感じました。

『レンキン』、『キングキャメル』ときてポリゴンのケンシロウの『北斗の拳』でありえないと思いました。そこで詳しい人に聞いてみると「ボックスでいけます」(ボックス:通路を挟んで向かいあった2列。店舗規模により台数は異なる)という話でした。

当時、弊社では各店6台ずつしか入っていなかったのですが、この人のいう事は正しいかもしれないと思い、セミナーの休憩時間に遊技機メーカーの担当者に「『北斗の拳』を全店トリプルボックスお願いします」と電話をしました。
その時、私は常務だったのですが、「常務、それは嘘じゃないですよね?嘘だったら僕、クビになります」と言われ「嘘じゃないから全店トリプルボックスで入れて欲しい。いつ頃入りそう?」という話になりました。
「すぐに入ります、売れてないですから」と営業マンの答えに売れてないんだ・・・
と私も少しひよったのですが、思い直して「いいよ、全店それでいってくれ!」と発注しました。

2週間後に全店導入されましたが、さすがに導入までの2週間はあまり眠れなくて、稼働が落ちてきたらどうしよう、怖いなと考えていました。

迎えたグランドオープンは全店全台一気に埋まって、勝利のガッツポーズを決めました。
店全体で平均稼働20,000枚を出して、凄いな、これはと自分でも驚きましたね。
一番面白かった時期です。

 

DMM:中古機相場もとんでもなかったのですか? 

佐藤社長:その当時は中古機マーケットが今のように育ってなかったことと、稼働が良ければそもそもその台を外さないですね。その後メーカーの営業マンが「大変なことになりました。どうして日の丸だけにそんなに売っているんだ」と千葉県全体のホールから問い合わせがきたようで(笑) 

DMM:大博打に近い先見の明ですね。 

佐藤社長:そうですね、MAXBETが成功した結果です。 

DMM:しばらくは『北斗の拳』の財産で余裕ができたのですね。 

佐藤社長:営業数字を毎月作るのですが、毎月上方修正していました。
やばいぞ、税金どうすると大慌てでしたね。面白かったですが。過去最高の売り上げ、過去最高の利益でした。
それが私の中で一番のエピソードですね。

ただ、それは言うなれば賭け事みたいなもので、経営というのはサスティナブルで繰り返す再現性があるかが重要ですね。
このようなヒットは印象には残りますが、やはり経営的に一難大きいのは直近2011年の東日本大震災と2019年の台風15号、2020年のコロナ禍で私の中でも相当しんどいエピソードです。
どちらも営業するのかしないのか、するならどのようにするのかという事がその都度、現場目線での意思決定が求められていました。

未曾有の事態が起こった時はお客様やスタッフと対話をしながら、最適解を探るようにしています。結論を出した後も、現場やお客様の様子を見ながら軌道修正を掛けていきます。
「未曾有」とは「前例が無い」ということ。
正解は無いワケですが、優先順位を決め、KPIを決めたらその結論に至った背景をステークホルダー(スタッフ、行政、地元住民の皆様、金融機関)に対してこまめに発信する。

東日本大震災の時は社内twitterで、コロナ禍の時にはメールでコンスタントに社内全体へ情報共有を図りました。千葉県のコロナ対策本部に営業を継続できるか確認しに行ったこともありました。

東日本大震災の時は全店店休を取りましたが、3日程経過すると、お客様やスタッフから不安の声が上がるようになりました。テレビを付けても津波の映像と原子炉の様子が繰り返し報道されているので、どうしても不安になってしまいますよね。娯楽業を営む私たちが自粛モードではいけないと気が付き、電力供給が不安定な状態でも営業継続することとしました。

コロナ禍の緊急事態宣言が発令された時も同様の発想ですね。

スタッフやお客様の安心安全を第一に置きながらも営業を頑張ってみることとしました。ただし一番感染者の多い千葉市の店舗は閉鎖し、スタッフ全員引っ越しして君津市に来てもらったのです。

 

DMM:引っ越しですか?

佐藤社長:そうです、その店舗で働いていたスタッフ全員です。そのほうが安心でした。一方で君津市の店舗は営業を継続していました。ただ、継続して営業する以上は60歳以上の人たちには給料をきちんと支払いながら全員自宅待機をしてもらいました。

それと並行して全員一律10万円の一時金を支給しました。このような事を緊急事態宣言が発令されて1時間後には全社に向けて発令しました。これくらいのスピード感が無ければ危機は乗り越えられないと思いますし、合っているか間違っているかは重要ではなく、危機に対してどのように向かい合うかが大事だと思います。接客時のマスクもそうですし、そのマスクに関しては2020年の1月、緊急事態宣言の出される前にマスクを調達しておきました。その頃はまだ、マスクを箱買いできた時期で、緊急事態宣言が発令されたら、すでに薬局にもどこにもマスクが無い状態でした。それを配布したり、またN95規格のマスクもそれまでに社内で調達していたので、近隣の病院に寄付したりしていました。 

DMM:先ほどの『北斗の拳』導入ではないですが、予測力が卓越していますね。 

佐藤社長:外で起こっている事、2019年10月にラグビーワールドカップで湧いていた頃にコロナの感染は起こっていました。少なくとも年末にはそのニュースが日本にも聞こえてきたわけで、それならば経営者のやるべきことは、最低限マスクを買う事はやっておかなければならないと思います。しかし、対岸の火事よろしく、他国で起こっていることを「自分事」として考えられない、というのは多くの企業・個人でもそうだったのかなと思います。ここが非常に大事だと思います。

外で起こっている事を自分に置き換えて考えてみる。新聞を読んでいてもそうですが、一つひとつの記事が自分にどう関係するのか?という意識を持つ事がとても大事な事だと思います。

2019年の11月、12月の私の危機感は最高潮でした。

横浜でのクルーズ船の乗客が下船する、下船しないとやっていた時、大多数の人が他人事だったと思います。まさかそれが日本に入ってくるとは考えていなかったと思います。
あの事件を「他人事」だと思うか、「自分事」と思うかで、おのずと対応も変わってくると思います。
マスクもワクチン確保もそうですし、国も個人も企業も目の前で起きているパラダイムシフトにどのように対応するか迫られていたのかなと思います。

 

DMM:身につまされるご意見ですね。私も他人事と感じていたひとりです。

過去から学んだ人材確保の成功

佐藤社長:一方で新卒採用はコロナ禍でも止めませんでした。もちろん、緊急事態宣言が出されてもです。
2020年4月に新卒が入ってきますよね。入社式こそできませんでしたが、その新卒には自宅待機で給料を払い続けました。

中には、内定取り消しや、新卒どころか全員解雇という話をしていた企業もありましたけど、私たちは基本的にはコミットしますよ、という形にしました。 
なぜ緊急事態のさなかで採用を止めなかったかと言うと、2011年の東日本大震災の時に一度採用を止めた経験があったためです。

同年入社予定の新卒は受け入れたのですが、その後の採用を止めました。そこからの3年間は採用で苦しみました。
その教訓から2020年の時にはオンラインに切り替えて採用を続けました。そのおかげで、2020年からこの3年間はきちんと人材を確保し続ける事ができています。
理由を打ち明けると、採用を止めるということは、学生を輩出する学校に対しても採用を止めると通達することになります。そうなると学校側は「この企業はコロナで採用をやめるんだ」と思います。一度門を閉ざすイメージがつくとその後が続かなくなり、苦労したという苦い経験があったので、コロナ禍でも採用を続けるという選択をしていました。

 

 

DMM:そのような経緯があったのですね。今は多くの業界で人材不足とも言われていますが、毎年に何人くらい採用されているのですか? 

佐藤社長:7人から10人くらいです。人を集めるのも大変ですので、コロナ前から公休日数を20日増やしています。年間20日間を全社員に、というのは結構大きくて、直近ではパチンコ事業部は給与のベースアップもしました。今年は全社員に対してもベースアップを行おうかと考えています。

やはりベースアップも休日日数の増加も非常に重要だと考えています。
現在、年間休日は120日まで増えていますので、サービス業としては充実していると思います。 

DMM:一般業種と比較してもなかなか上位に位置づけされると思います。 

佐藤社長:そうですね、全業種の中で30%、サービス業では上位10%くらいに入ると思います。
休日日数は、毎年増やすと宣言しながら増やしてきました。 

DMM:今の若年層も働き方の概念や価値観も昔と違うと思います。福利厚生の部分であったり、環境だったり。経営努力をされているのですね。 

佐藤社長:経営というのは環境適応業じゃないですか。周りが変わっているのだから、変わらなきゃいけないよねという事ですね。最低賃金なんて、頼みもしないのに上がっているじゃないですか(笑)勝手にあげやがって!と言っても逆らえないですよね。

最近は男性の育児休暇も宣言するように言われたので、早速宣言しましたけど。絶対休暇取れよってスタッフには言っています(笑) 

DMM:昭和の時代から考えると働き方が本当に変わりましたね。スタッフはだいぶ働きやすくなっているのですね。そのスタッフの教育ですが、海外研修、他企業ウィークリー交流など社員の教育・研修制度にも非常に力を入れていらっしゃると聞いていますが、研修内容や目的について教えて下さい。 

佐藤社長:海外研修に関しては、自分と違うものを受け入れるキャパシティを養う事が目標です。
新規ビジネスもそうですし、モノの考え方にも言える事だと思います。
今は円安じゃないですか。
ですから私らの若いころと比べて、今の子供たちって留学の数も海外旅行の回数もが減っているような気がするのです。

パスポートを持っていないという人も結構いますし、強引でも海外に連れて行って、変化をよしとする楽しみ方も覚えてもらって、アニマルスピリッツ(イギリスの経済学者ケインズの著作で用いられた用語「野心的意欲」「動物的な衝動」)を取り戻すような教育。計算というよりは人間の本能を呼び覚ますことが海外研修の最大の目的です。
行き先を今まで通りシンガポールで検討していたのですが、シンガポールは完成されている国で面白くないかなと思っています。私が途上国を提案しているのですが、まだまとまっていません。 

DMM:ベトナムとかはいかがですか?今、日本に来る留学生や就労人口が多い国ですし。 

佐藤社長:良いと思いますね。結局日本の人口は減少するわけですので、望む・望まないに関わらず特定技能実習生制度よろしく、色々な業種業態が外国人を受け入れなければいけなくなるわけです。
国力を落とさないためには国を開くのが一番というのは、明治の時代から同じことだと思います。日本は望む望まざるに関わらず大国中国の影響を受けるので、経済、軍事、草の根レベルでアジア諸国とのつながりをしっかりと保つ必要があると痛感しています。

特定技能実習生制度が国策になっている中で、海外を知らなくて何が経営と言えるのですか?と考えています。
海外に関してはこのような考えですが、他業種交流も自分たちの中で作ってしまう「枠」を取っ払いたいという想いです。

そしてアニマルスピリッツを持って立ち向かっていかないと。私たちは東日本大震災もコロナ禍も乗り越えてきましたが、これからも未曾有のことに立ち向かうしたたかさは備えていたいものです
バイアスの入っていないモノの見方は自分たちの枠組みから出ないと養えないと考えています。ですから、他の企業さんへ行くことも大事な事だと考えています。
海外研修も他企業交流もコンフォートゾーン(「快適な空間」あるいは「安心できる/自分のコントロール下にある」と感じられる領域。心理学で用いられる用語)を出て、ようやく本当の意味でのモノが見えると思います。 

DMM:勉強になりました。どうしても自分の身の回りや自分の枠に捕らわれがちで、ニュートラルなモノの見方をするということは、口で言うより難しいですね。 

佐藤社長:私は君津から他県の学校で寮生活を始め、シンガポールで多国籍な人と出会いましたし、アメリカ東海岸への留学でスゴイ人たちと出会いました。
年齢を重ねて来ると若い人たちから学ぶという姿勢も大切になります。
インターネットを介して海外メディアに触れるというのもニュートラルポジションを維持する良い方法だと思います。

DMM:他企業との交流は提携先企業が決まっているのですか?

 

 

佐藤社長:いえ、MIRAIの事務局にご協力頂いています。MIRAIの前身の同友会(一般社団法人日本遊技産業経営者同友会)の考え方は非常に賛同しています。
人事交流は、プライバシーや個人情報の問題、企業秘密の問題等ありますが、それを上回るメリットがあると考えています。

企業が、と言うより人材が大事で、ひとたびこの業界に人材を受け入れたのであれば、私はその人材をレベルアップして送り出してあげる事が企業の基本的考えであるべきだと思います。
もちろん、企業活動ですので営利目的の投資にはなりますが、業界の人材が成長できないと業界そのものが成長しないと思っています。
業界がずっと縮小傾向にある中で、コロナ禍での営業で非難されたりしたこともそうです。

MIRAIの企業、企業間交流をされている法人は同じ想いを持たれている経営者だと思っています。
日本も300年鎖国して良い面もあったと思いますが、その後の明治・大正・昭和をの歴史を見ると、外から学んでキャッチアップしている日本の方が明らかに経済発展したわけじゃないですか。私たちにとって大事なのは自分たちの枠組みから出て考える事だと思います。

「Think out of the box」(箱の外で考える、既成概念にとらわれずに物事を考える)という考え方はものすごく大事な事だと思います。

DMM:弊社も企業文化はまず行動、やってみるという面もあります。見切り発車も多いのですが、やってみないとわからないこともありますね。 

佐藤社長:そうですね。やってみてやらなきゃよかったと後悔することも多いですけど(笑)
失敗したビジネスも沢山ありますし。ただ、精度を高めるためには情報交換をした方が、情報隠蔽するよりも良いと思います。

DMM:ありがとうございます。世の中のスキャンダルも隠蔽体質が発端ですし、色々な意味でオープンであった方がよさそうですね。コインランドリーの件と重なりますが、精力的な事業展開の中で、事業部別の売上規模等についても教えて頂けますか?

佐藤社長:事業規模で言うとパチンコがやはり主軸です。ただ、直近でお風呂も順調になっていますし、フィットネスも馬鹿にならない売り上げになりつつあります。

FitZone24 HPより

フィットネスは今いるこの事務所からはじめました。ここは元々古着屋さんでしたが、退去後にテナント募集があり、借りませんかという流れになりました。

借りたのは良いのですが、オフィスだけで使うには広すぎるね、ということになり、コインランドリーを併設することにしました。それでも広すぎるということで話を進めている中でフィットネスをはじめると調子が良く、お客様からももっと店舗を作って欲しいと言われ5年で5店舗、1年で1店舗ずつ増やしていきました。

その後、コロナ化でテレワークになり、オフィスを半分にしてフィットネスを広げました。
最初はオフィスが広いので社長室を作ってくれと言ったのですが、社員に却下されまして、せめて椅子だけでも用意してくれといって、椅子は用意してもらいました。ただ、コロナ禍で椅子もいらないということになりました。社員ファーストですね。

 

  

DMM:なるほど、今はフリーアドレスなのですね。 

佐藤社長:そうですね。基本フリーアドレスでしたが。前職が外資系の大手情報通信企業でIT企業ですので、DX(デジタルトランスフォーメーション)対応自体してきていたので問題はありませんでした。
今も仕事をするうえで、場所などは拘らないですね。 

給与と賞与のアップが目標!

DMM:ありがとうございます。コロナ化でリモートワーク等、働き方も劇的に変わりましたし、選択の幅も広がりましたね。我々も強く感じています。

最後に貴社の目標、あるいは業界の展望や忌憚のないご意見、お考えについてお聞かせください。

 

佐藤社長:給与と賞与を上げることですね。物質的な喜びが社員には効果がありますので。
コロナ禍を経て売上や利益を落としている中小企業は多いと思いますが、そんな中でも元気な企業は給与アップを実現してきています。

そこに追いつけ追い越せではないにしろ、休みの日数も賞与も、そして給与も増やしていきたいなと考えています。

また、新しいビジネスへの挑戦も続けていきたいです。
7年前にはじめた老人ホーム紹介事業があり、この事業を通じてシルバービズネスへの知見が溜まってきましたので、そこを活用して新しい事をやりたいと考えています。

あとは、団塊の世代が後期高齢者になるにあたり、M&Aのチャンスが増えている気がします。
後継者がいない、若い人がやりたがらないということが結構ありますので、そこも考えていきたいと思います。これから日本はM&Aの黄金期を迎えると言われていますよね。単に上場企業の株価が最高値という話だけではなく、少なくともマーケットの中でコロナ禍を生き残ってなお利益を出し続けている企業に関しては、創業者が退いた後もビジネスモデルは間違っていないと思います。

それならばその分野への参入も大いにあり得る事だと考えています。

業界内ではパチンコが減りスロットが増えるというパラダイムシフトが起こっています。

スマスロが好調という側面もありますが、私はこの流れは長期のトレンドだと感じています。
また、玉やメダルが無くなるということは営業をこれまでの延長戦上で考えることが出来なくなることを意味します。高射幸性の遊技機撤去の後ということもあって、ゼロベースでの市場との対話が求められると感じています。そういう意味ではこれから業界で活躍する若い方たちにとってはチャンスですね。これまでの常識が通用しないから。

一方で、これまでの知識や経験にアグラをかいている業界歴●十年という方は注意が必要です。自身のアップデートが求められます。
ゆでガエルになるか、パラダイムシフトに対応できるかが問われる局面ですね。

店舗数が6000店舗を切ったあたりでは、パラダイムシフトに対応できた企業群が残っており、全体のマーケットはそこまで縮んでいないと思います。

オアシスグループのゲームセンター HPより

 

私はゲームセンターも運営していますが、ゲームセンターも手を変え品を変えても一時期は最盛期の半分以下に店舗数が減少しましたが、そこから復活しているわけじゃないですか。
最大手のラウンドワンさんを見ても売り上げが伸びてきていますので、同じような事がパチンコ業界にも起こるのではないかと思います。

店舗数が減ってきて、最後に残された企業が反転して蘇ってくると思います。日本の人口も9000万人くらいに減少するとは思いますが、外国人をうまく活用すれば残り3000万人分くらいの経済活動は補えると思います。
娯楽としてのパチンコも大阪にIRができても残りますし、今こそ胸を張ってコロナ禍で叩かれたような思いをしなくてもいいようにしていきたいなと思います。

 

DMM:ありがとうございます。そうですね、業として成立している以上、必要とされている仕事だと思います。業界問わず、全ての人が毅然として働ける社会になれるとよいですね。

 

編集後記

順風満帆の企業は、次々に出店し版図を広げる。 

だが、そんなセオリーとは裏腹に盤石な地盤固め、人材確保を進めるオアシスグループ。

枠に捕らわれない社長が率いる同社のスタッフは士気が高い。

およそ、一昔前の水準とは異なる福利厚生やベースアップ等、今までのサービス業の既成概念を痛快に壊している。

円安、物価高というマイナスになりがちなキーワードを逆手に、5年、10年先を見据えたオアシスグループの今後の事業展開には期待せずにはいられない。

                  

 

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