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パチンコ・パチスロ特集

第十八回「みらいの輪」~パチンコ店経営者に突撃インタビュー~株式会ワールド

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みらいの輪とは

昔のように勝てない!面白くない!
レジャーの多様化とともにパチンコ・パチスロ離れもめまぐるしい。
とかく、依存問題や子供の放置事件などマイナスのイメージを植え付けられているパチンコ業界。
半世紀以上続き就労人口も20万人超という規模だが、世間の風当たりは強い。
様々な要因で店舗数もどんどん減少しており、逆風の只中にいる。
そんな苦境だらけの時代に突き進むパチンコホール経営者の生きざま、考え方について深堀していく。

更新日: 2024/12/02

 

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 大衆娯楽のパチンコ業界。その文化を未来へ紡ぐため、2020年10月に2つの業界団体が合併し成立したMIRAI(一般社団法人MIRAIパチンコ産業連盟)。

 

 

本企画はそのMIRAIで活躍する各企業のキーマンにフォーカス。パチンコホールの経営者の生い立ちや普段聞けない生の声を独占インタビューする。

石川 直史 代表取締役

株式会社 ワールド

 

 

パチンコ業界の経営者に話を聞く「みらいの輪」。
18回は、古都京都にパチンコ店やカラオケ店を経営し、地元密着で半世紀以上の実績を持つワールドの石川 直史社長にお話しを聞いた。
石川社長は建築設計の道に進み、一級建築士として活躍。
畑違いの仕事を経て家業に入り、地場企業の一員として地元のスタッフ、顧客に支えられ堅実に歩み、100年存続する企業を目指している。
 

薄氷の上の経営。脆弱な経理に驚愕の日々

DMM:本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、石川社長のプロフィールをお教えください。 

石川社長:よろしくお願いいたします。私の原点は母型の祖父と父が共同経営で亀岡にぱちんこ店の1号店をはじめた事がスタートです。それまでは京都市内に住んでいたため亀岡には縁もゆかりも無く、一家で新しい道を歩み始めました。

DMM:石川社長が幼少の時にですか?

石川社長:私が3歳の時です。その時は、ぱちんこ店の2階に一家で住み、私は18歳まで暮らしていました。その後、20歳頃に実家を別に建てるまではお店の2階半分が実家、もう半分が社員寮でした。ですから、子供のころからお客さんや従業員が身近な存在で、家業でもあり生活の一部でした。ぱちんこを理解しつつ、良い部分も嫌な部分も体感して育ってきましたね。当時、ぱちんこは差別業種の意識が今よりも強く、客層や店員のガラが悪いという負のイメージが強い業種と世間からは思われていると感じていました。その感覚があったので、大学の専攻を考えた時に、ぱちんこ以外で独立できる道を模索しようと考えました。当時建築に興味があったので、明治大学の建築学科に進学して、そのまま設計の仕事に就くことになりました。

DMM:設計会社からぱちんこ業界に戻られるきっかけというのはどのようなきっかけだったのでしょう?

石川社長:実家のぱちんこ店は順調に事業を成功させていきました。そのお陰で地元の亀岡でも認知を得る事ができるようになりました。それは、父がぱちんこを愛し、誇りを持ってぱちんこ事業をライフワークと思っていたからです。だからこそ、父は家族でぱちんこ事業を営みたいという思いが強かったのだと思います。私も30歳ごろに父から声をかけられ家業に戻る決断をしました。

DMM:入社された時にはどのような業務を担っていたのですか?

石川社長:私が入った当初は、まだぱちんこビジネスが明確に確立されていない時期で、プリペイドカードが出始め、ラッキーナンバー制の全盛だったと思います。営業に関わる明確なノウハウが無く、何となく営業していたら何となく儲かっているような時代背景だったと記憶しています。そんな時代で、父も仕事を教えるというより、自分で仕事を見つけろという感じでした。その中で経理・財務に関しては、事務員の女性が一人で日報をつけて、PL等を商工会の人がチェックし、決算の時だけ答え合わせをするような状況でした。月次を見る事も無く、経費圧縮の判断も無く、財務帳票をどのように作るかという概念すら無く、無い無い尽くしの余りにも見すぼらしい状況でした。その状況を見てこれはマズイと思い、私はまったくの素人でしたが勉強しながら経理、総務、人事、採用などを進めていきました。

DMM:そのような総合職の業務から着手しはじめたのですか?

石川社長:着手というより、あまりにも脆弱な状況で「やらざるを得ない」という状況でした。正直、「これが会社?」というような状況で、当時の私は小切手も手形も切れません。設計でデザインを中心に業務をしていたわけですから、およそ、経営とかお金の管理と対局になる仕事です。小切手を切って下さいと言われてもどこに判を押せばよいのか?というところからスタートしたわけです。当時は、そんな初心者でもできるレベルの内容で、そのような状況から入りました。今考えると笑い話ですが、当時、土地を購入しても事務社員が土地の代金を一般経費で計上していたり、店舗では店長がお客さんとタバコを吸って談笑して、呼ばれたら走って行ってドル箱を手渡すような光景が日常茶飯事でした。そんな感じの店を3軒経営していましたね。 

DMM:今考えると大らかな時代ですが、それでも店が回っていたのですね。

石川社長:ただ、当時は離職も多く人手不足にもなり、回らなくなって採用に力を入れることになりました。ひどい時には1店舗に社員が2名しかいない時もあり、経理も一時期私が全ての日報を作成し、仕分けをする状況が半年くらい続いたこともありました。そんなところからのスタートです(笑)。 

DMM:石川社長が30歳で入社された時からの社員の方は今もおられるのですか?

石川社長:今、現役で幹部クラスになっている社員は、ほぼ全員残っています。そして本社、デザイン部まで全員私が採用しているスタッフです。

ぱちんこ一筋の父の背中

DMM:なるほど、完全にプロパーでの採用なのですね。そのスタッフが従事している現在の事業内容について教えて下さい。

石川社長:先ほどもお話しましたが、私の父は、ぱちんこ愛に溢れているぱちんこマニアで、本当にぱちんこビジネスが大好きな人です。逆に言えばその前に従事していた建築土木業で大変な苦労していたわけです。それに比べるとぱちんこ業は非常に良いビジネスだと思っていて、それを家業にして一本で頑張りなさい、というブレないスタンスは子供の私から見てもスゴイ人です。そして、地元の亀岡も愛していて、このエリアで自分たちに何ができるかを考えていきたいという強い想いを持っています。他の企業のように、リスクヘッジで他の事業をしなくて大丈夫?と思ってしまう程、頑なにぱちんこ事業一筋で続けてきていました。現在はカラオケやデザインも行っていますが、ぱちんこが基幹事業です。

 
DMM:なるほど、ぱちんこへの想いが強いですね。ありがとうございます。続いて石川社長が入社されてから苦労されたことや印象に残るエピソードなどがあれば教えてください。

石川社長:先ほどお話したように離職して人手が少なくなったことと、ドミナント経営している難しさです。競合店が出店してきたときにどのようなスタンスで営業していくかとか、もうひとつ人事面の問題が色濃くありました。私が入社した時には、人が育つ環境に無く、教育される環境が無い、チームビルドという感覚も無い風土が根強く残っている会社でした。そのことを真剣に考えた先の未来には会社が残りえないと思っていて、その中での採用は本当に苦労しました。新卒の応募も少ないですし、ぱちんこ店自体も当時は1万店舗以上あったわけです。そうなると大手や都会の店舗に流れがちになり、なかなか思うように採用ができませんでした。

DMM:今も人手不足ですが、当時も人材不足だったのですね。

石川社長:その頃、高卒でも大卒でも「新卒生採用する事の重要性」について、人づてにお話を聞き、会社を育てるなら社員の成長とリンクさせないといけないと痛感しました。では、その育てるべき社員とはどんな人か?と、考えた時に「中途採用で実力のある人」よりも、まっさらな人が入り、社是や社訓に共感を覚えて働き成長できること。当たり前の事が完結できる会社・組織づくりが成長する上で非常に大事である、という事を聞いて非常に納得できました。その話を聞いてから採用を一層頑張ろうと考えました。当時、各大学で「就活セミナー」があり、色々な大学に足を運び会社の説明を行っていました。会社の熱量を説明できる人間が私しおりませんので、私が全てに出向き、会長の夢を語りながら採用活動を実施してました。当時はぱちんこホール企業の参加は少なく、大手すら皆無だったのですが、そもそもパチンコ店の説明を受けようと思う学生が誰一人として来なかったことには苦労しました。

 

応募数0から3000倍の応募へ

DMM:就職氷河期のさなかでも、1日誰も来なかったのですか?

石川社長:そうです、10時から17時まで誰もきませんでした。亀岡という郊外のぱちんこ店が「採用します!」と声を上げたところで来るわけがないのです。それを当時の私は椅子に座って学生が来るのを1日待っていました。そんな折、他の企業の就活セミナーを回っていたぱちんこ好きな学生が冷やかし半分で話を聞きに来たことがあり、到来したチャンスを逃すまいと堰を切ったように彼らに2時間位しゃべるわけです。そんな事をしながらノウハウを掴めたのが、採用セミナーを始めてから2、3年後で、当時そのセミナーに来てくれて採用した社員とも20年近くの付き合いになりました。最初は本当に辛かったです。誰も来ないのに何してんのかな、採用できるのかなって。

DMM:その状況で心が折れなかったのは尊敬します。結果が出るまで不安ですよね。

石川社長:不安と言うか、自分は無駄な事を永遠とやっているのかなと思いました。当時は色々な事に挑戦しました。大学の就活セミナー以外にもスカウトメールや高卒採用の「ハリケンナビ」への登録、高校の先生方とも名刺交換したりと思いつく限りの色々な事をやり続けました。


DMM:ノウハウを掴めてからの応募総数はいかがですか? 

石川社長:私たちも最初の3年から4年くらいまでは苦労しましたが、5年目以降からコツを掴めるようになり、最高母集団が3000人になりました。来場0からスタートして、やっとそこまでのノウハウができました。もちろん、3000人と言ってもそこからの採用人数は7人くらいになります。 

DMM:3000人というのはすごいですね。

石川社長:そうですね、それは少し自慢できることだと自負しています。今は人事部も充実しているので、ノウハウなど情報の共有をして今後に備えています。

絶対ノウハウの追求と継承

DMM:ありがとうございます。情報共有同様、社員に浸透させていき会社の風土を創るための企業理念や社是についても教えて下さい。

石川社長:社員採用の時に言ってることですが、「絶対ノウハウの追求と継承」ということをキーワードに掲げています。装置産業のぱちんこ業でそんなものがあるのかと思われるかもしれませんが、私はあると考えていますし、これからはノウハウが無ければ生き残れないと考えています。大都市圏内で1000台、2000台規模の大型店が台頭して、中小ホールが駆逐されていく中で、私たちの店は亀岡エリアでは2000台以上はあれども1店舗毎の規模は500台、600台規模の集合体です。その単店が大型店に勝てるのか?と言うと、きちんとしたコンセプトを立てて、戦略的に動けないと勝てないと思います。その中で、明確なロジックやスキルが重要だと考えていて、その中での「ノウハウとは?」という課題に直面した時にどうするか。新機種を入れ替えしたらこの機械はこの「割数」でこんな営業をしようよ、と言うのが従来の営業会議で議論される内容として多いわけですが、それだけではもう勝てないと思っています。

DMM:従来通りのやり方では生き残れないということですか?

石川社長:そう考えています。例えばそれは私が学んできたような建築的知識だとか、どうすれば快適な空間になるかとか、どうすればお客様のワクワクドキドキを演出できるか。どのような仕掛けをすればリピーターとして再来店してくれるのか?を考えていかないと単純に目の前の割数や賞品などの品ぞろえだけでは生き残っていけない、と。そうなるとぱちんことは離れた人事の能力や広告の能力、建築の能力など他の能力を高める事で会社の中での大きなノウハウが蓄積され、社員全員がそう考える事で、みんなのキャリアアップもできて、人と会社の価値を上げる事ができると考えています。また、MIRAIに参加されている他企業の行っている取り組みも非常に勉強になりますし、感じる事があります。その内容をできるだけ社内にフィードバックして、他の企業のみなさんに追いつけるようにノウハウのボトムアップをできるようにしています。


DMM:求人に戻るのですが、「ぶっちゃけ座談会」や新卒・中途・アルバイトなど幅広い人材募集をされていますが、直近の採用数や欲しい人材等について教えて下さい。

石川社長:コロナ明けから直近は中途採用しかできていませんが、広告課から来年新卒採用を始め、力を入れていきたいと考えています。ぱちんこ事業はその状況を見ながら求人していきたいと思っています。弊社のスタッフはお陰様で働き始めてから長く勤務してくれている人が多く、アルバイトさんでも勤続25年という方もいるのです。



DMM:とても長く勤務されているのですね。

石川社長:そうですね。そこがある意味弊社の強みかなと思います。亀岡市内でのドミナント展開でもあり、私やスタッフの生まれ育った故郷の街でもあり、お客さんも知り合いや友達であり、そのような環境の中だからこそ、私たちが得意なノウハウが必要だと感じています。もちろん、AIやDXでの効率化も必要ですが、それとは別のやり方もあると思います。亀岡でしか通用しない、私たちでしか成しえない、そういったものも重要なのかなと考えています。

DMM:なるほど。他社さんでも特段マーケティングを行わず、日々の生活こそがマーケティングで地域の事は自社の社員が誰よりも見ているから、そこに足りないものを商売化すると成功するよね、という考え方の代表もおられました。 

石川社長:その考え方は本当にわかります。大手企業だと難しいお客様との距離感も亀岡ではよくありました。以前店舗を移転する為に閉めた時には、その店の最後の日の稼働がグランドオープン以来の最高稼働を記録しました。そしてみんなで記念撮影をして、そういう事ができるということがありがたいなと思います。ぱちんこってそういう感覚でいいのかなと最近思います。お客様との距離の近い営業は大手ホールにはできない営業スタイルで、それもひとつのノウハウとして形にしたいなと思います。

DMM:移転とは言え、閉店するとなると最終日はあまり出なそうなイメージに感じますが、高稼働しているのはすごいですね。それだけ愛されていたのですね。

石川社長:そうですね。それでも来てくれましたし、良い思い出です。

DMM: 地場に根付いている事がよくわかる良いお話ですね。最後に今後のぱちんこ産業や貴社の目標・将来展望について教えて下さい

石川社長:ぱちんこ産業は今、「パーパス」という事をお客様と私たちがどう関われるかが話題にあがっていると思います。業界パ―パスと言うと人との繋がり、共生するという話になると思いますが、中小企業が多いぱちんこ店のパーパスは?と問われた時にどうやって利益を出していけるか、どうやって生き残っていくかという事は大前提だと思います。業界パーパスとして、本当の意味での共生の中からどうやって売り上げを作っていくのか、収益を上げていくのか。この業界だからこそ本気で考えられるのかが大事だと思います。その為には先ほどのお客様との交流のように、お客様とどのように繋がれるのか、関われるのか、さらにそれを超えた感謝されるような店ができるかもしれない。それを模索していく事が私たちのような地方のぱちんこ店が唯一残る方法なのかなと思います。

DMM:今後は、組織拡大のお考えもあるのですか?

 

石川社長:そうですね、組拡モデルも店舗を増やして店長という役職者を増やしていって、みんなの満足する組拡人事にしようというスタンスではなく、一般企業のように店長に上がったら次は部長職を狙えとか、専務を狙えと。上に行くか、あるいは自分がもっとプロフェッショナルとしてマーケティングが長けるとか、人事能力が長けるなど長所を伸ばすことで部門・部署のトップになれるように頑張ってやりなさいという方向でキャリアを考えさせるようにしています。

DMM:店長だと営業や店舗管理のノウハウを学んで営業部長にステップアップするということでしょうか? 

石川社長:必ずしも営業部長という職位でなくても良くて、人事部長でも良いですし、全体を俯瞰して見られるならエリア長でも良いと考えています。少なくとも自分が次の店長を育てて、そこに配属して自分の立場を上げていかないと役職は何も上がらないよと。上がらなければ相対評価でその人より優秀な人が店長に上がるよと。それは困るだろうから自分も切磋琢磨して自分がどの適正があるか確かめて、早くその立場になりなさいというスタンスにしてあります。

DMM:それぞれの専門分野に特化したスペシャリストが出てきたら、専門の職位を新規に作っても良いというお考えですか?

石川社長:弊社は今、中央化を目指しています。全ての店舗が亀岡エリアにあり分布も10Km、15Km圏内にある中で、そもそも各店舗に店長が必要かということです。必ずしも店長ではなく管理長という形でも良く、それよりもA店でイベントを行えばB店の稼働が落ちるという事が起きるので、全体を俯瞰的に見る事が大事だと思っています。だからこそ、中央で皆考えようよという事で、トップダウンではなく、ロジックを持っている店舗の人間が判断していけるように中央化していこうと。「人事・広告・イベント・データ・入替」を本社に構え、その部門ごとの新しい長として迎える準備はあると。広告の得意なスペシャリストなら広告デザインの司令塔として、適材適所に人を配置する事が得意な人は人事部長にと、きちんと上がってこられるように、切磋琢磨しなさいとう取り組みはしています。その取り組みを2年くらい前から始めており、ここはうまくできたけどここはまだ駄目だよねという事を喧々諤々取り組んでいます。

100年企業を目指して

DMM:ありがとうございます。会社の目標についても教えて下さい。

石川社長:会社の目標は一貫して「潰れない会社づくり」です。一番つまらない目標だと思いますが、ただ、風俗営業店で50年以上続けていますから、風俗営業店にも関わらず100年営業を狙えるのは、唯一ぱちんこ事業だけだなと考えています。そう考えると風俗営業店で潰れない100年企業を目指したいなと思います。それは亀岡にはまだ100年企業が無いことも理由です。京都市内なら100年以上の歴史を持つ企業はありますが、亀岡には無いので、その初めての企業が風俗店だと面白いじゃないですか(笑)。その為には、ぱちんこ業界が健全でないといけないと思いますし、私たちの会社も同様に健全でなければいけないし、その中で地域との共生というテーマで活動していくことも大事という事を考えていくのが弊社のビジョンになります。

DMM:100年企業というのは地域に愛されていて、必要とされている会社になるということですね。

石川社長:100店舗目指したいとか、1兆円企業にしたいと言いたいところですが、実現できないことですから。実現できない事を延々と語るより、100年企業にはなれると思います。例え売り上げが何十倍もあるような大手さんでもひょっとしたら100年企業になれないかもしれないですが、弊社はなれるかもしれない、これだけは対等な夢として持てるので、そこで勝負していきたいと思います。

DMM:なるほど。会社の規模などが違うといっても時間だけは平等ですね。ありがとうございます。

編集後記

亀岡で50年以上も継続し、ひたむきにぱちんこ業に取り組んでいるワールド。

継続は力なり、企業は人なり。人財の確保と教育が事業継続には重要なファクターであることを改めて認識させられる。

亀岡で100年続く事業、それも風俗営業となると、石川社長の言葉通り非常に面白いニュースになるだろう。

とかく色眼鏡で見られがちな「ぱちんこ産業」だが、100年続く企業が出るころにはその社会的意味、必要性の解釈もきっと大きく変わっていることだろう。

「ぱちんこ産業」のこれから、文化としての「ぱちんこ」が浸透し持続可能な産業としてこれからもあり続けるのは、たゆまぬ努力を惜しまない熱い経営者の想いがある限り潰えないだろう。

 

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